黒装束じゃない?手裏剣で戦わない?「忍者」の姿が研究で明らかに
歴史の影で暗躍した「忍者」。戦乱の世において武器や忍術を巧みに使い戦う姿は、日本を代表するカルチャー的存在として世界中で絶大な人気を誇っています。しかし現実の忍者はどのような姿だったのでしょうか?6月13日放送のCBCラジオ『石塚元章 ニュースマン!!』では、三重大学国際忍者研究センター副センター長や国際忍者学会会長を務める忍者研究の第一人者、三重大学人文学部教授の山田雄司先生が、忍者の「真実」を詳しく解説しました。聞き手はCBC論説室の石塚元章特別解説委員と加藤愛です。
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黒装束に身を包み、木の上から手裏剣を投げて戦うイメージの忍者。そもそも実在したのでしょうか?
山田先生「忍者は南北朝時代の14世紀の初めから存在していて、江戸時代の終わりまでいろいろな任務をしていました。当時は『忍』と呼ばれていましたよ」
戦乱の世に生まれた忍者は、平和な時代の訪れとともに次第に姿を消していきました。そんな彼らの主な仕事は、実は戦闘ではなかったようです。
山田先生「戦国時代にはお城の乗っ取りなどもしていましたが、一番中心になるのは治安維持のための情報収集。江戸時代になると戦いもないので、城下町に住んで治安の維持に携わっていました」
戦が激化した戦国時代には破壊工作や夜討ちなども行なったそうですが、一般的なイメージとして浮かぶような戦闘は基本的にはしていなかったとか。江戸時代以降は一揆が起こるとその様子を調査し、藩主に報告する仕事もあったようです。
黒装束の真実
諜報活動が主な仕事だったという忍者ですが、実はその服装もイメージとは異なっていました。
石塚「情報収集の時は、やっぱり忍者だとバレないように化けたりするんですか?」
山田先生「忍者というと黒装束を着ているイメージがありますが、実際にはそうではなく、普通の恰好をしていたんです」
忍者の黒装束は、歌舞伎文化の中で作られたイメージだとか。観客にわかりやすいよう忍者役に黒装束を着せたことが、今日に至るまでパブリックイメージとして定着してしまったとか。
石塚「そっか、黒装束で歩いていたらかえって目立ちますもんね」
夜に活動する場合に着ることもあったものの、その場合も黒色は月の光に当たるとかえって目立つとされていたのだとか。そのため紺や茶褐色が目立たない服として着用されていたようです。
手裏剣の真相
忍者というと伊賀や甲賀が有名ですが、実は青森から鹿児島まで日本全国にいたそうです。
忍者になった人たちは、もともとほとんどが農民だったとか。
山田先生「情報収集をする上ではその土地に詳しいことが大切だったので、家柄などは関係なく地元の人を雇って使っていたんです。なので武器も鎌などを使っていました」
忍者の武器と言えば手裏剣。ところが「手裏剣を使っていたという記録はひとつもない」と山田先生。
山田先生「手裏剣という道具はあったけど、『手裏剣術』という武術の道具でした。それが歌舞伎の中で忍者が使うものとして演じられたんです」
そもそも忍者の任務は情報収集なので、武器は威嚇・逃走するための護身用だったようです。
忍術は本当にあった?
藩主や領主に雇われ、その土地に精通した人間が「忍」として諜報活動をする中で、伊賀や甲賀では、自衛のために様々な術を自分たちで鍛錬して身に着ける者が現れたそう。
石塚「水に浮かんだり、ドロンって消えたりとか?」
これもよくある忍者のイメージですが、現実はどんな様子だったのでしょうか?
山田先生「水の上を歩く水蜘蛛の術は、絶対水の上を歩けません。沈みます!」
そう断言する山田先生。本来は水の上に安定して浮かぶための浮き輪のようなものだったと言います。いわゆる「忍術」と呼ばれるものの元になったものはあるそうですが、一般的にイメージされるもののほとんどは、映画やアニメなどで誇張されたり変えられたりしているようです。
その性質上、表舞台には出てこなかった忍者たちの本当の姿。創作や伝承の内容が、何百年後もそのままのイメージとして伝わっていたのでした。
(吉村)
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