アリス、海援隊など人気グループが多数在籍した「ヤングジャパン」創設秘話
11月5日、東京でとある同窓会が開かれました。それは有名ミュージシャンが多数在籍した音楽事務所「ヤングジャパン」の同窓会。当日はばんばひろふみ、白井貴子、横山剣(クレイジーケンバンド)、山本恭司さん(BOWWOW)、根本要(スターダストレビュー)、矢沢透(アリス)、高山厳(バンバン)、武田鉄矢(海援隊)、美樹克彦、長江健次など(以上、順不同)豪華メンバー達が参加し話題を呼んでいます。この会に参加したつボイノリオによるCBCラジオ『つボイノリオの聞けば聞くほど』、24日の放送では「ヤングジャパン同窓会・勝手に二次会!」と題して、ゲストを交えながら当時のことを振り返りました。
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この日のゲストのうちのひとりは、芸能事務所ヤングジャパンでマネージャー業務を務めていた大友淑代さん。今回の同窓会の幹事でもあったようです。
つボイ「同窓会っていうのは、こうやってマメにちゃんとやる幹事がいないと成立しないんです」
大友「ずっとやりたいという気持ちはあったんですけど、なかなか行動に移せなくて」
そんな思いを抱えていた大友さんに「スターダストレビュー」のボーカルである根本要さんが「どうしてもやりたい」と声をかけたそう。その言葉に後押しされる形で、この豪華な同窓会が実現されたとか。
当日は65人のスターが一堂に会し、非常に賑やかなひと時となったようです。
始まりは大阪
そもそも、ヤングジャパンとはどんな芸能事務所だったのでしょうか?
始まりは1971年5月、大阪帝国ホテルにて行われた事務所開き。由緒ある帝国ホテルからスタートするとはさすがヤングジャパンと思いきや、そうではなかったようです。
小高「大阪?帝国ホテル?」
大友「皆さんがご存じの帝国ホテルではないです。そういう名前のビジネスホテルで(笑)」
小高「ちなみにこの時の事務所開きは何人だったんですか?」
大友「スタッフが3人と社長で合計4人です」
ヤングジャパンの華々しい歴史のスタートはビジネスホテルで、ごく少ないメンバーによりひっそりと始まったとのこと。
しかしその年の10月には東京を拠点とした事務所を麻布十番に開設。最初のタレントはザ・ムッシュ、その後アリスやバンバンなど、続々と所属ミュージシャンが増えていったようです。
大きくなるヤングジャパン
72年8月には大阪の事務所を移したそうですが、そこは淀屋橋にあった蔵のある一軒家。
小高「一軒家ですか?」
大友「蔵なら演奏しても音が外に漏れないので(笑)」
ミュージシャンが練習できるよう、防音効果のある蔵がついた家を買い取って事務所にしていたようです。その家の2階には、アリスの矢沢透さんとバンバンの今井ひろしさんが住んでいたとか。
小高「なんだかアットホームですね」
そして73年7月には大阪フェスティバルホールにてジェームス・ブラウンの公演を開催、75年4月に東京・赤坂に本社を移し、76年12月には海援隊が所属。79年2月にヤングジャパン大阪が設立されてやしきたかじんさんが所属と順調に活動が進み、「ヤングジャパングループ」としての信頼や知名度を確かなものにしていきました。
成功の背景には…
順風満帆に見えるヤングジャパンですが、その裏には大変な苦労があったようです。
小高「大友さんはマネージャーの他にもいろいろな業務をされていたようですが、具体的にはどんなことをしていたんですか?」
大友「ヤングジャパンって全て自主コンサートだったので、何もかも自分たちでやらなきゃいけなかったんですよ。コンサートのチケットを作ったり、当時はポスターも自分たちで書いていたんです。人のポスターをもらって、その裏に自分たちの宣伝を書いたりして」
つボイ「節約や(笑)」
大友「あとは段ボールを拾ってきて糊でポスターを貼って、夜中に電信柱とかに括りつけに行ったりもしました」
小高「それ勝手にやったらいかんやつ(笑)。でも確かに、昔は電信柱にそうやっていろいろ貼ってありましたね」
大友「問い合わせのために電話番号もしっかり書いてあるので、時々警察から電話がかかってくるんですよ」
小高「時代やね(笑)」
創設当初は、少ないスタッフでこんな風にがむしゃらに事務所を運営していたと振り返る大友さん。今回の同窓会の感慨深さもひとしおだったようです。
(吉村)
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