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【防災特集】3つの震災を経験した看護師が語る、身を守るためにすべきこと

【防災特集】3つの震災を経験した看護師が語る、身を守るためにすべきこと

9月1日は防災の日です。この日のCBCラジオ『ドラ魂キング』では災害派遣医療チームDMATとして、様々な現場で被災者の看護経験を持つ、JCHO中京病院ICU看護師長の川瀬紀子さんに話を聞きました。自然災害はいつ起きるかわかりません。川瀬さんの口から被災者看護の現状が語られます。

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川瀬さんが入った現場

川瀬さんはこれまでに、2007年の新潟県中越沖地震の時に災害支援ナースとして被災地の病院で活動。

また2011年の東日本大震災の際には、医療救護班として南三陸町で活動したそうです。
この時は避難所と仮設診療所、自宅避難者の自宅へ医師とともに訪問診療を行なったそうです。

さらに昨年1月の能登半島地震の時には、DMATとして金沢の病院の活動拠点本部で活動さしています。

川瀬さんが3つの現場で活動した災害支援ナース、医療救護班、DMATについて、さらに詳しく尋ねます。

災害支援ナースと医療救護班

まず災害支援ナースについて、新潟県中越沖地震での活動を具体的に聞きました。

川瀬さん「被災した病院の外来の診察室に派遣されて、外来診療の補助を行いました」

病院職員にも勤務中に被災して自宅に帰れなくなっ方が多数いたそうです。
その被災病院の看護師が、いったん帰宅して休めるよう、後方支援の役割をしたそうです。

続いて、東日本大震災での医療救護班では、どのような活動をしたのでしょうか?

川瀬さん「この時は、医師、看護師、それから事務員、薬剤師、放射線技師、多くの職種とともにチームとなって被災地に入って活動を行いました」

この時川瀬さんが入ったのは宮城県南三陸町。各職種が揃った小さな病院のようなチームだったそうです。

被害が甚大だったため、川瀬さんは指定された診療所と避難所での活動に加え、自宅避難者の訪問診療を約1週間行い、次のチームと交代したとのこと。

現場では自己完結

2024年の能登半島地震ではDMATとして活動した川瀬さん。
厚生労働省のDMAT事務局のホームページによると、 DMATとは「災害急性期に活動できる機動性を持ったトレーニングを受けた医療チーム」とのことです。
DMATはDisaster Medical Assistance Teamの頭文字をとった名称です。

川瀬さん「これもチームで行くんですが、石川県内の活動拠点本部になっている病院で本部業務を行ないました」

この時は被災地に着いてから、活動拠点本部に入るのか、被災した現場に行くのかが決められたそうです。
そのため、どの現場にも行けるよう準備万端で整えて向かったとか。

川瀬さん「被災地で物品を調達することはありませんので、全て自分たちで用意して完結するんです」

どのような形であれ、被災地に向かう場合は衣食住すべて自己完結です。

川瀬さん「食料はもちろん、寝るところも確保できないかもしれないので、寝袋も水も全て準備していくことになります」

災害を減らすには?

川瀬さんが経験した3つの現場の違いを、看護の立場から聞きました。

川瀬さん「昼に起こるのか夜に起こるのかでも違いますし、季節でも全然違ってきます」

例えば冬にはインフルエンザなど感染症の蔓延リスクがあり、夏には脱水症状や熱中症のリスクがあります。

こうした様々な現場経験を通して、川瀬さんが考える「災害を小さくするのに必要なこと」を尋ねました。

川瀬さん「減災という言葉があるんですが、いかに防ぐかがすごく大事になってくると思います」

家具が倒れてこないように固定することや、災害訓練に参加するだけでも違うとか。
加えて非常持ち出し品の準備、地域のハザードマップで避難場所や避難経路を確認することも指摘しました。

川瀬さん「私も頭ではわかっているんですけど、実際に地震が起こったら動けるかどうか。自分の安全は自分で守らないといけないので、皆さんが考えるきっかけになればなと思います」

人の住むところはさまざまです。いつ自分に降りかかってくるかもしれない災害を、いかに減らすか、日頃から考えておきましょう。
(尾関)
 

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