「野球から学んだことが、グッとくる」中日OB・川上憲伸が語る。

元中日ドラゴンズ投手で野球評論家の川上憲伸さんが、3月29日放送のCBCラジオ『若狭敬一のスポ音』に出演しました。今回話したのは「野球から学んだこと」について。チームスポーツである野球から学んだことは、社会に出てからも必要となることでした。
関連リンク
この記事をradiko(ラジコ)で聴くマメで交代を直訴
高校最後の甲子園の夏、春日部共栄高校と対戦した徳島商業の川上さんは、準々決勝で指にマメを作ってしまいました。
4対0で勝っていましたが、指のマメでまともに投げられない状態だったそうです。
自ら監督に「このまま僕が投げ続けて、逆転されることが怖いので代えてください」とピッチャー交代を申し出た川上さん。
川上さんを投手に育て上げた監督は、強い意思を確認し、ピッチャーを交代しました。
しかしその後、チームは4対11で逆転負けしました。
10年後の質問
その甲子園から十数年ぶりに同級生が集まり飲んでいる時に、こんな質問が出たそうです。
「あの甲子園の時さ、なんで代わったん?」
川上さんは「せっかくベスト8まで来たチームを、俺のマメのせいで負けてしまうかもしれない。俺としてはそんなことはできなかったんだよ。わかるやろ?」と答えたそうです。
ところが、川上さんの答えに対して返ってきた言葉は「違うだろ!」でした。
エースの存在
さらに川上さんは「甲子園に来れたのも憲伸のおかげだと思うし、憲伸で打たれて負けるなら、俺たちは満足なんだよ」と言われたそうです。
夏の予選もひとりで投げ切り、常にマウンドには川上憲伸というエースがいました。
「お前の背中を見て、僕らは点を取ったり守ったりしてたから、それがマウンドにいないってことは、俺らからしたら終戦なんだよ。あの時は悲しかった」
これを聞いた川上さんは、プロ野球で投げる時も、野手は常に自分を見ながら戦ってくれているんだと感じながらプレーしていたそうです。
人間がやること
川上「選手たちにとったら、勝つだけが全てじゃないんです」
エースがマウンドにいて勝つから価値がある。負けるとしても、エースが最後まで投げ切ったなら価値がある。
川上「そういうことに気付かされて、野球は人間がやることだなって感じました」
川上さんは「人は何を欲しがっているんだろう?自分に何を求めているんだろう?と考えるようになったのは高校時代、さらに続く大学時代のおかげ」と続けます。
異色のキャプテン誕生
明治大学4年生の時、野球部では卒業生が来年のキャプテンを決めるシステムだったそうです。
当時の川上さんから見ればひとつ上の先輩がキャプテンとして選んだのが川上さんでした。
「エースとしてチームを引っ張っていかなければいけないのに甘え癖がある。もういい加減、芯からチームを引っ張っていく存在になって欲しい」というのが選ばれた理由だったとか。
川上「先輩たちはキャプテンタイプじゃない僕をキャプテンにさせたんですよ」
川上さんは、他の「明治大学卒業ピッチャーでキャプテン」の中では異色の存在。ドラゴンズで言えば星野仙一さんや柳裕也投手とは違うキャプテンだったそうです。
そういうのヤダ
川上「全てにおいて常にちょっと緩かった自分がいるんですよ。先輩や同級生がそれも理解してくれて、僕をしっかり支えてくれて、キャプテンとして作り上げてくれたんです」
大学野球部では、練習メニューやスケジュールを決めたりすること全てキャプテンから最初の発信をするそうです。
川上「僕はもともと全部それは任せたかったんですよ。そういうのヤダってのがあったんですよ」
キャプテンになったのなら、それでは済みません。選手の成長具合、チーム状況を把握するために全体を俯瞰で見るようになったそうです。
個人と全体
いろんなことが見えてきた中で「あの人とあの人は仲良さそうだけど、本当は仲悪いとかもわかってくるんですよ」と続ける川上さん。
そうなるとこの二遊間、ただ守備が上手い者同士でもダメ。解決するためにふたりと食事に行こうか?チームみんなで飲みに行くか?それでもダメならダメか?など、いろいろと考えたそうです。
「ヤダ」から大きく成長した川上さん。卒業していった先輩の読み通りキャプテンの大役を果たしました。
川上「何でも個人だけってなれば楽なんですよ。本当に楽なんですよ。だけど全体が必要だっていうのを高校、大学の時に教わりましたね」
高校時代のエース。大学時代のキャプテン。野球から学んだことを噛みしめるように語った川上さんでした。
(尾関)
番組紹介

読んで聴く、新しい習慣。番組内容を編集した記事からラジオ番組を聴いていただける”RadiChubu”。名古屋を拠点とするCBCラジオの番組と連動した、中部地方ならではの記事を配信する情報サイトです。