若者の旗手が今や長老?杉田二郎、大いに語る
シンガーソングライターの杉田二郎さんが、1月26日放送のCBCラジオ『小堀勝啓の新栄トークジャンボリー』に出演しました。インタビューは13日に名古屋国際会議場 センチュリーホール(名古屋市熱田区)で開催された『青春のグラフィティコンサート2025』での楽屋にて収録されたもの。パーソナリティの小堀勝啓と久しぶりに会った杉田さん、朗々とした声は昔から変わりません。
関連リンク
この記事をradiko(ラジコ)で聴く初めての名古屋
京都生まれ・京都育ちの杉田さんは、アマチュア時代から大阪や神戸など関西地方のアーティストとは交流をしていました。
初めて名古屋に来た時のことを振り返りました。
杉田「『二郎、名古屋で歌わないか』って声をかけられた時は『うわーすごい遠いところから声をかけられた』っていう印象がある(笑)。新幹線に乗っていくんだみたいなドキドキ感がありました」
アマチュアのジローズの時代。京都と名古屋のアマチュアの人たちが交流し始め、「サンデーフォーク」という日曜日に開くコンサートがあったそうです。
杉田「中電ホール(名古屋市東区)でした。初めて名古屋で歌わせていただいて。思い出すと込み上げるものがありますね」
この「サンデーフォーク」の名は、コンサートなどのイベント企画を手掛ける事業者の名称として今も名古屋の地に残っています。
今や長老
今回の『青春のグラフィティコンサート2025』の出演者の中では、杉田さんが78歳で最年長です。ちなみに他の出演者は南こうせつさん、イルカさん、藤巻亮太さん、海援隊といった面々。
杉田「最近どのイベントに呼んでいただいても、僕が最年長になっちゃって(笑)」
小堀「若者の旗手だった二郎さんが、今や長老になった」
そんな杉田さんは今も新曲作りに精力的です。
杉田「毎年北山修さんと会う度に『今度どんな歌を作ろうか』って話してる」
そういう話をしている時は、青春時代のことは忘れて、現在の感覚で話し合っているそうです。
小堀「80に手が届くところですよね」
杉田「それなりの思いで新しい歌ができればいいねと思っています」
杉田さんと北山さんはアマチュア時代から関西フォークでの仲で、それぞれジローズ、ザ・フォーク・クルセダーズで活動。その後、はしだのりひことシューベルツで合流します。
北山さん作詞・杉田さん作曲のコンビで多くの名曲が生み出されました。最も有名なのが「戦争を知らない子供たち」。北山さんは現在、精神科医で作詞家です。
ロンドンなのに日本的
小堀「北山さんが前にスタジオに来てくださった時、作詞家人生の中で、二郎さんと組むようになって『男どうし』とかまた新しい詩の世界が広がった、と話してました」
杉田「『男どうし』を作ったのが1975年。彼は当時、イギリスの病院で精神科医の勉強のために留学していたんですね。当時は国際電話か、手紙を書くかでしたね」
インターネットのない昭和の時代。「何か作りたいんだけど日本に帰ってくる?」と手紙を書くと、返事は一週間後。「しばらく帰れないから、二郎がロンドンまで来ないか?」という内容だったそうです。
早速杉田さんは、ロンドンの北山さんの下宿に足を運んだとか。
杉田「ロンドンの地下鉄でチャリングクロスっていう駅だった。1週間ぐらいお世話になって、ふたりで作った作品が『男どうし』っていう歌だったんですよ」
小堀「あの歌の世界は、日本の懐かしい故郷の話に聞こえながら、ロンドンで生まれたんですね?」
杉田「ロンドンからふたりの故郷のことを歌ったんです。だからすごく思い出深い作品ですね」
杉田さんも北山さんも共に京都育ちです。
新曲完成
杉田「今までに彼とは200曲ぐらい作ったかもわからないですね」
杉田さんと北山さんのコンビでは、プロになってからは、はしだのりひことシューベルツで「風」「朝陽のまえに」「白い鳥にのって」。
プロになってからのいわゆる第2次ジローズでは「戦争を知らない子供たち」「青春のわかかれ道」「涙は明日に」などがあります。
今回のコンサートでは最近北山さんと作った「一日、一時間、一秒でも」という曲を歌ったそうです。この曲はまだレコーディングされていないとか。
会えることが愛
「一日、一時間、一秒でも」は、人と直接会うことが難しかったコロナ禍がきっかけで生まれたそうです。
杉田「誰かに会いたいと思っても全く会えない時が続きましたよね。そんな苦しい経験から、あなたと会うということがもう愛なんだ、というストーリーがこの年齢になってできたんです」
小堀「世界中の人が初めて経験したコロナ。ここで対面で人に会って話し合うことの大切さを思いましたね」
杉田「今回一緒に歌わせていただいたメンバーにも久しぶりに会う人もいる。会えるだけで本当に愛を感じるんですよね」
(尾関)