月亭八方が語る、大物芸人の粋な計らい
10月12日、上方落語家の月亭八方さんがCBCラジオ『北野誠のズバリサタデー』に出演しました。11月に名古屋でトークイベント『八方の楽屋ばなし』で開催する八方さん。このイベントは、90年代に関西で放送された人気番組『ナイトinナイト』(ABCテレビ)のコーナー「今週の楽屋ニュース」が基になったもので、現在でも年に1回特番が放送されています。この稿ではかつて八方さんが経験した話について取り上げます。
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八方さんが入門したのは1968年(昭和43年)で、当時関西のお笑いといえば松竹でした。
やがて笑福亭仁鶴さんや月亭可朝さん、桂三枝さん(現:六代桂文枝)らが大人気となり、吉本の若手が一気に注目されるようになりました。
吉本興業所属だった八方さんはその波に乗って、デビューして3年足らずでいきなり『ヤングおー!おー!』(MBSテレビ)のレギュラーに抜擢。
若くして売れた上にやがてバブル経済が到来しました。この頃八方さんは浮かれてしまったため、現在ではコンプライアンス的にNGと言われそうなところにまでお金を借りており、気づけば多額の借金を抱えてしまいました。
超大物芸人が楽屋に
そのような状況で目の前に現れたのが、当時松竹新喜劇の座長だった藤山寛美さん。
1千万円ほど札束が入ったボストンバッグを見せて、「要るだけ使いなさい」と言われたそうです。
八方さん「全部あげますとは言いませんよ、要るだけ使いなさいと。みんな欲しいけど、手を出すわけにはいかん」
昔は松竹と吉本はテレビで共演ができないと言われるほどのライバル関係だったにもかかわらず、そのライバル会社の超大物が直々に訪問することは、かなりの事件です。
それを聞きつけた吉本の幹部が「なんで松竹の人がそういうことを言ってるのに、吉本は何もせえへんねん!」と言い、弁護士を通じて八方さんの借金を吉本が借金を肩代わりすることになったそうです。
働きに働いて
ただ、肩代わりしたといっても借金がなくなったわけではなく、返済先が吉本に変わったため、その日から仕事が大量に入るようになったそうです。
八方さん「吉本から『月なんぼいんねん』っていわれて、当時収入が月100万なかったんですけど『月100要ります』って言うたら『アホか!』言われて。
『月50万だけ生活費を渡す』と。「あとはなんぼ売り上げるか知らんけど、それは全部吉本に返してもらいます』と。借金の返済がそういう契約なんです。
そしたら何年(で返済完了という計画)じゃない、早よ返してもらうために、それで仕事がもう(増えて)。目が開いたら仕事仕事、バブルやから(仕事もたくさんあった)」
その甲斐あって、7、8千万円ぐらいあった借金をなんと2年で返済しました。
八方さん「(いつ返済完了か)わからへん。嫌そうな顔して会社から『無くなったから借用書破っとけ』って言われて」
まだまだたくさん働いてほしい会社から「借金することないんか?」といわれた八方さんは、そこで1千万円以上するベンツを買って、マイカーローンではなく、吉本ローンで再び借りたそうです。
トークイベント「八方の楽屋ばなし」では、八方さんのみならず他の芸人さんの話や落語も聞けるとか。
八方さんは「吉本あるあるじゃなしに、吉本あったあった(話を披露する)」とまとめました。
(岡本)