地震の歴史と情報。「南海トラフ地震臨時情報」ができるまで
8月8日午後4時43分頃、日向灘を震源とする最大震度6弱の地震が発生。この地震に伴い、同日の午後7時15分に「南海トラフ地震臨時情報」が初めて発表されました。この「南海トラフ地震臨時情報」ができるまで、一体どのような歴史をたどってきたのでしょうか?9月2日放送の『CBCラジオ #プラス!』では、「地震とそれを伝える情報の関係」について、CBC論説室の石塚元章特別解説委員が解説しました。
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地震の歴史と情報を見比べてみると、大きく2つに分かれます。
1つは「地震が起きる前に何を教えてくれるのか」という情報。
もう1つは「地震が起きた後に何が起きたかをどう伝えてくれるのか」という情報。
つまり地震の前と後で、情報の伝え方にはいろいろな課題や問題があるということです。
「南海トラフ地震臨時情報」は、地震が起きる“前”の情報。
「起きるかもしれない」ことを、どう伝えるのか、いつ伝えるのか、何をきっかけに伝えるのかという問題です。
地震情報が隠されていた時代
地震が起きた後に「今どんな地震が起きたのか」「今こういう被害がある」ということを人々に伝えることはとても大切ですが、日本ではこれらの情報が隠されていた時代がありました。
戦争中の1944年(昭和19年)、「昭和東南海地震」という大きな地震がありました。
これは今でいう「南海トラフ地震」に当てはまる形で発生した地震でした。
この時、愛知・静岡・三重では1万7,000戸の家屋が全壊し、3,000戸が津波で流されました。
死亡者・行方不明者は1,100人以上だと言われています。
しかしこの事実はほとんど伝えられていなかったのです。
国からのメディアへの圧力
理由は「戦時中」であったこと。しかも「日本が劣勢に立たされている時期」だったことにありました。
国は新聞を中心としたメディアに、記事を書かないようにという圧力をかけました。
この地震が起きたのは、1944年12月7日のこと。
通常であれば翌日の朝刊に載るはずですが、これについて触れた記事は小さなベタ記事のみ。「地震があったけれど、大したことはない」という内容でした。
翌日の12月8日は、3年前に「太平洋戦争」が始まった象徴的な日です。
当時の日本政府としては、戦意高揚を目的とした記事を大きく載せたい日だったのです。
戦闘機作りに携わる中学生も犠牲に
この地方では、翌1945年1月にも「三河地震」が発生しました。
直下型地震のため被害を受けたエリアは狭かったものの、2,000人以上が亡くなり、2万戸以上の住宅が全半壊したといいます。
この「三河地震」も、やはりほとんど伝えられてはいません。
「東南海地震」の時には、名古屋の南の方にあった戦闘機を作る工場が潰れました。
当時、部品作りに動員されていた中学生もこの地震の犠牲になりましたが、やはり一切報道されませんでした。
戦闘機を作っている工場が潰れたことを、漏らすわけにいかないからです。
地震が起きた後の情報
「三河地震」の時は、名古屋などから疎開しているこどもたちがお寺の全壊で亡くなっています。
これもほとんど報道されていないばかりか、警察がこどもたちに「ここで見たことを言うんじゃないぞ」と口止めをしていました。
戦時中だったからこそ、大きな地震が起きてもその情報が隠されていたのです。
速報が出るテレビやラジオに加えて、拡散力のあるSNSもある現代とはかなり異なります。
比較をすると、地震をどう伝えるのか、何が大切なのか、ということが見えてきます。
これは地震が起きた“後”の伝え方の課題です。
東海地震は「予知できない」
続いては、地震が起きる“前”の情報の伝え方について。
少し前まで、静岡で「東海地震が起きる」といわれていましたが、1970年代にはこの地震は「観測データをちゃんと見ていれば予知できる」と思われていました。
「大規模地震対策特別措置法」という法律を作り、「もうすぐ大きな地震が来る」という情報を伝えるシステムを公式に作っていたのです。
地震が来る2~3日前には予知し、交通やビジネスはストップし、「構えて待つ」または「避難する」ことができるといわれていました。
しかしその後の「東日本大震災」などの経験から、専門家の間でも「地震の予知はできない」となり、2017年には「東海地震の予知」という考え方に大きな見直しが入ることになりました。
「可能性が平時よりも高まった」状態
この後を受け継いだ形になるのが、「南海トラフ地震臨時情報」の考え方です。
地球の中にもぐりこんでいる2つのプレートがぶつかり合って、引きずり込まれた陸側のプレートが時々、跳ね上がる。これが大きな地震や津波を引き起こします。
南海トラフ(静岡の駿河湾から宮崎の日向灘まで)で大きな地震が一度起きると、しばらくして、同じような地震が同じエリアでもう一度起きるというのが、過去の例では何度もありました。
今回気象庁が発表した「南海トラフ地震臨時情報」は、「南海トラフ地震の起きる可能性が平時よりも高まった」という情報というわけです。
2年後もあれば32時間後もある
例えば前述した1944年の「昭和東南海地震」の後に、1946年の「昭和南海地震」が起きています。
さらにさかのぼると、1850年の「安政東海地震」が起きた32時間後には「安政南海地震」が起きています。
次の地震が来るのが2年後のときもあれば32時間後のときもありますが、「地震が続けて起きる可能性が普通よりは高まった」状態であることはわかります。
これが「南海トラフ地震臨時情報」です。
8月8日に起こった日向灘の地震は、まさに南海トラフの地震。
規模が大きかったことから専門家が「評価検討委員会」を開き、「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」を出しました。
ルールやマニュアルがない現実
問題になるのはやはり、こういった場合の「情報の伝え方」です。
「南海トラフ地震臨時情報」は、地震が「絶対に来る」でも「予知」でもなく、「可能性が少々高まった」ということ。
この場合にどうするのか、というルールがしっかりと決まっていないため、対応は自治体によってバラバラでした。
海水浴場の閉鎖もありましたが、専門家は「いざ来たらどう逃げるかがわかっていれば、海水浴場を閉鎖する必要はない」と言っていました。
この「南海トラフ地震臨時情報」が出た直後の新聞には、大手の民間企業もこの臨時情報に対してどう動くかというマニュアル作りをしていなかったため、まずはマニュアル作りが急務である、という記事が載っていたそうです。
「情報」を知り、「どう動くか」を知ることは、とても大切です。
情報を伝える側と受け止める側
企業だけではなく、国としてのルール作りもこれから。国は「これから見直しをする」と言っています。
地震が起きる前と起きた後の、それぞれの情報の伝え方はとても大切なことですが、「伝える方」だけではなく、「受け止める側」の判断も重要です。
ネットに流れる「フェイクニュース」は、絶対に拡散してはいけません。
能登半島地震でもかなりのフェイクニュースがSNS上で投稿されました。
信じて拡散してしまったために、実際に行政が足止めを食らったり、救助を求める嘘の情報で、助けられたはずの命が助けられなくなったりすることもあります。
いろいろな意味から考えても、地震のときには情報を正しく取得して判断することが大切です。
(minto)