能登半島地震から8か月。災害ボランティアに聞く「被災後の心得と対応」
今年1月1日、石川県で震度7を記録した「能登半島地震」から丸8ヶ月経ちました。石川県の住宅の被害は8万棟を超え、学校などの一時避難所ではまだ一部の被災者の方が生活をしています。大地震や豪雨などで被災した場合、どのような状態になるのでしょうか。9月1日放送の『河原崎辰也 いくしかないだろう!』(CBCラジオ)では、東日本大震災から災害ボランティアとして全国各地の被災地支援活動を続けている「災害ボランティア 愛・知・人」代表の赤池博美さんとお電話を繋ぎ、能登半島地震の現場の話を交えながら伺いました。
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石川県珠洲市では、昨年5月にも震度6強の地震がありました。
赤池さんは当時も珠洲市で約3ヶ月に渡りボランティア活動に従事されたそうです。
その時の縁で珠洲市の方と連絡を取り、「去年よりもかなりひどい」という情報を得た赤池さんは、1月2日には愛知県を出発し、3日の早朝には現場に到着しました。
赤池さんがまず向かったのは、昨年生活していた場所でした。
赤池さん「普通に建っている家はほとんどありませんでした。電柱もほとんどが倒れて、道路も壊滅的な状態でした。東日本大震災でもここまでの状況は見たことがなかったので、足が震えてしまいました」
水も食事もない状況
800人ほどの人が避難していたという珠洲市の中心部にある「飯田小学校」で、赤池さんは昨年支援を行なった方々と再会しました。
その方々は赤池さんの顔を見て涙を流されていたといいます。
食事はおろか水もなく、避難してきた方々は自分で避難所に持ち込んだ物を少しずつ食べている状態。
3日の昼から炊き出しを行なった時には、皆とても喜んでくれたそうです。
自衛隊の到着まで5日から1週間。
赤池さん「物資で材料が入ってきても調理する場所がなく、水も出ない。終わったあとの食器を洗う場所もありません」
あふれかえる「トイレ」の問題
避難している方々と同じ生活をしていた赤池さんは、食べ物と水の必要性を強く感じたといいます。
そして、生活に欠かせない「トイレ」の問題。
上下水道が被害にあって流すことができず、どこに入ってもあふれかえっている状態でした。
トイレの上にビニール袋を敷き、そこに固形剤を入れて「燃やすゴミ」として出していたそうです。
「仮設トイレ」が完成したのは、被災の1週間から10日ほど経ってから。
自衛隊の「仮設風呂」が最初に完成したのは珠洲市上戸町でしたが、1か所では全員が入ることもできず、孤立している地域もあったため、なかなかそこまで行くことができないという問題もあったそうです。
今も避難所生活を送る100人
「災害ボランティア 愛・知・人」として、今年3月の後半まで炊き出しをメインに活動していたという赤池さん。
自衛隊が来るまでは、マイクロバスでの送迎も行なっていたそうです。
並行して、1月の後半からは住宅の復旧支援や家財道具の片付け、貴重品の取り出しなども。
住める家の雨漏り対策として、ブルーシートを張る作業も行っていました。
現在、避難所にはまだ約100人の方が生活しています。
赤池さん「どんどん疲れが溜まって、仮設住宅にも入れない人がいる状態を見ると…。こんなことが8ヶ月も続くのは初めてかと思います」
災害に向けた備えの大切さ
能登半島の家屋の被害は「半壊」以上が7割以上。
場所によってはほぼほぼ壊れてしまっている地域もあるそうです。
被害を受けた家屋の修理に大工さんや業者が入っているところもあるそうですが、そのまま住める家が少ないのが現状。
赤池さんたちも応急処置を行ない、今のところ7割ほどは進んできているといいます。
災害に備えて「最低1週間ぐらいの生活ができるものを個人で蓄えておくことが大切」と赤池さん。
赤池さん「不安がマイナスの感情を募らせるので、ある程度の蓄えをして、周りの人たちとの助け合いが大切だと思います」
現在も続くボランティア活動
「簡易トイレ」も、個人で持っておくと便利なもののひとつ。
赤池さん「小さなテントや、穴の開いた椅子にビニール袋を敷いたもので用を足して。固形材を入れれば普通の燃えるゴミとして出せますので。あると便利です」
日頃から、避難する場所や必要な物について家族で話し合っておくことが大切とのことです。
「災害ボランティア 愛・知・人」のメンバーは珠洲市でのボランティアを継続して行っていて、ホームページでは日々の活動状況を見ることができます。
現在は、住める家や納屋で暮らす方の雨漏り対策、持ち出すことができない大切な家財にブルーシートを張るという活動、また仮設住宅のコミュニティ作りの炊き出しや、サンシェードを作る活動といったソフト面での支援も行ない始めているところだそうです。
(minto)