中日・大野雄大投手が激白!2勝目までの「ボロボロメンタル」
8月24日放送のCBCラジオ『若狭敬一のスポ音』では、中日ドラゴンズのエース・大野雄大投手の秘話を、若狭敬一アナウンサーが明かしました。左肘の手術から復帰し、4月3日に1勝目を挙げた大野投手ですが、8月18日の2勝目までの間、どのような心境で過ごしたのでしょうか?
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この記事をradiko(ラジコ)で聴く昨年は手術で棒に振る
2010年のドラフト1位で中日ドラゴンズに入団した大野雄大投手は、現在14年目の35歳。
ピッチャーに与えられる最高の賞、沢村賞を受賞しており、日本のピッチャーの頂点に一度は立った男です。
昨年は1試合の登板で勝ち星はありませんでした。左肘の遊離軟骨除去手術をしたため、1年間を棒に振ってしまったのです。
ここまで11勝がキャリアハイ。2020年は防御率も1.82、10完投、6完封しています。
完投数からもわかるように、大野投手はイニングを多く投げるイニングイータータイプのピッチャーです。
年末の決意
昨年末に、大野投手が京都の実家に家族で帰省した際、妻の両親、妻の兄弟夫婦など総勢8人で、2024年のドラゴンズカレンダーの表紙に1年の目標を書こうという話になったそうです。
義理のお父さんは「妻に優しくする」など、和気あいあいとみんなで書いていく中、大野投手だけは真剣な表情で「勝負の年。キャリアハイに近い成績を残す」と書いたそうです。
手術明けのシーズンとなる2024年は、シーズンが終われば複数年契約も切れる年です。
来シーズンも雇ってもらえるのか?並々ならぬ思いがあったそうです。
1勝はしたけれど
2024年は開幕ローテーションに入り、4月3日の巨人戦を5回1失点に抑え、556日ぶりの勝利。これで完全復活かと思いきや…。
「今だから若狭さんに言いますが」と、この1勝目を振り返ったという大野投手。
実はオープン戦の頃から左肘の状態が良くなかったとか。この日は、本来はイニングイーターのはずが、5回66球という少ない球数で疲弊してしまったそうです。
大野投手いわく「首脳陣に投げさせてもらって、勝たせてもらった勝利」。
この日の登板で「今シーズン中6日で先発として回るのは厳しいと感じた」と言います。
続けて「投げては登録抹消。調整してまた投げるという形で1年間頑張ろうと思いましたが、正直僕のようなピッチャーを、首脳陣は使いにくかったと思います」と振り返ったとか。
2回途中でノックアウト
明くる日、大野投手は登録抹消になって調整に入ります。
4月20日には阪神甲子園球場でマウンドに上がりました。
かつてのイニングイーター、沢村賞投手の大野雄大は見る影もなく、2回途中で4安打6失点を失いノックアウトされました。
イニングイーターだった先発投手にとって屈辱の降板。この試合を大野投手が振り返りました。
大野「後で聞くと、この日のピッチング、首脳陣は1回で僕を交代させようとしていたらしいです。もう自分は一軍の首脳陣に信頼されていないと思いました」
結果が全ての世界とはいえ、かなりへこんだそうです。
この日、大野投手は二軍への降格を告げられました。
屈辱の3被弾
二軍で調整後、6月29日にバンテリンドームナゴヤで、横浜DeNAベイスターズ戦の先発を与えられた大野投手。
ところが5回5失点で負け投手となります。牧秀悟選手に2本、桑原将志選手に1本の計3本ホームランを打たれた結果です。
大野投手は振り返ります。
大野「バンテリンで3本ですよ。自分の真っ直ぐは二軍で通用しても、一軍のバッターには通用しないと痛感しました」
この日、また首脳陣に「二軍でもう1回ローテーション回って来てくれ」と言われたそうです。しかし二軍で、また何か月も中6日で投げる気持ちにはなれなかったと言います。
「心が折れました」と大野投手は、若狭に告げたそうです。
心は折れたまま
心が折れたまま、ナゴヤ球場で黙々と練習をこなした大野投手。
しかし二軍の記録に目を通した若狭、不可解な登板に気づきました。
7月5日のオリックス戦では、なぜか中継ぎで1回と3分の1だけの投球だったのです。
先発を務めてきた大野投手にこの理由を尋ねた若狭。
大野投手はこう答えたそうです。
大野「正直に言いますね。表向きは短いイニングを全力で投げてストレートの威力を上げることが目的と言っていました。本音は先発で投げる気力がありませんでした」
この言葉に「初めて聞きましたね」と若狭も驚きます。
炎が消えた
さらに7月13日、くふうハヤテ戦に先発して5回1失点。
大野投手はこの時の気持ちをこう語りました。
大野「先発ピッチャーとしては言ってはいけないと思うんですが、5回投げた後に『もう代えてください』って言っちゃいました。もう投げる気力がない。『炎が消えた』っていう表現が一番いいと思います」
これまで何人ものレジェンドを取材してきた若狭曰く「これは引退する選手の兆候」だそうです。
ケガがきっかけとなり、年齢も重ねているので思うように結果が出ず、やがてメンタルも弱ります。
若狭「しかも、一度脚光を浴びてチームの顔になった選手であればあるほど、もう1回頑張るのが難しい。これは緊張の糸が切れた引き際を考える選手の流れです」
火を灯す人
ところが、炎の消えたろうそくに、優しい炎を毎回点けてくれる人がいたそうです。
選手にも家族にも言えない気持ちを受け止めてくれたのは、浅尾拓也コーチだったとか。
かつて中継ぎでMVPとなり、日本の頂点に立った浅尾コーチ。
同じようにケガで苦しみ、一軍と二軍を行き交い、晩年には二軍での登板のみでした。
浅尾コーチは、大野投手にこんな言葉をかけたとのこと。
「大丈夫。もう一回、先発で絶対復帰できるから。大野は絶対先発だから」
この言葉が、ろうそくが消える度に火を点けてくれたそうです。
若狭「要するに大野雄大投手が見た景色を、浅尾拓也投手も見ていました。だからこそ伝えられる言葉、できる接し方があったんですね」
志願の7回
7月27日は、二軍でオリックス・バファローズ戦に登板しましたが、7回を無失点で抑え、再び一軍へ。
8月3日に登板した広島戦では、5回を2失点で負け投手となったものの、ゲームを作りました。そして8月11日の巨人戦は5回3失点とやはり負け投手でしたが、こちらも役目を果たしました。
そして8月18日、バンテリンドームでの阪神戦では7回3失点で、ようやく今季2勝目を上げました。
さらに自身のバンテリンドームにおける通算50勝を飾りました。
実はこの試合で、6回に立浪和義監督から「もうこの辺でやめとくか?」と聞かれたという大野投手、7回も志願して登板を続けたそうです。
浅尾コーチのおかげ
前回の4月の勝利は5回早々にマウンドを降り、首脳陣に勝たせてもらった試合。
この日は自ら7イニング目を志願し、大野投手本来のスタイルであるイニングイーターとして堂々と勝ちました。
大野「浅尾さんがいなかったら、今シーズンの僕はいなかったと思います」
試合後、浅尾コーチに電話で勝利を報告した大野投手。すると浅尾コーチは「だから言ったじゃん。先発で復帰できるって」と軽快に答えたそうです。
若狭「この返し方も浅尾さんっぽいなと思いました」
(尾関)