大川興業総裁・大川豊が振り返る、過去の自民党総裁選
岸田文雄総理が次回の自民党総裁選に出馬しないと表明したことで、9月の総裁選に続々と名乗りを上げる方が増えてきて、誰が次の総裁になるのか混沌としてきました。引いては次の総理が決まるということで注目を集めていますが、過去の総裁選はどのようなものだったのでしょうか。8月24日放送『北野誠のズバリサタデー』(CBCラジオ)では、政治ウォッチャーとしても知られる大川興業総裁・大川豊が、歴代の自民党総裁選について解説しました。
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この記事をradiko(ラジコ)で聴く2人の元首相がし烈な権力争い
10人を超える方々が立候補を予定しているのは前代未聞で、大川が「踊る大総裁選」と命名するほどにぎやかな状況となっています。
大川が印象に残る総裁選として挙げたのが、昭和40年代から60年代まで続いた、いわゆる「角福戦争」。田中角栄氏と福田赳夫氏の権力闘争のことを指す言葉です。
片や小学校卒業の叩き上げだった田中氏と、一高から東大、大蔵省へと進んでエリートそのものという福田氏による、対照的な2人の争いでした。
田中氏は日本列島改造論を提唱し、日本のあらゆるところに新幹線を通す計画を立てることで日本全国の地価を上げ、ある意味バブルを起こしましたが、一方の福田氏は均衡財政、緊縮財政寄りともいえます。
また、外交では田中氏は親中派で日中国交回復を果たしました。
一方の福田氏は、あまり知られていませんが親台湾派で、経歴だけではなく政策も対照的でした。
すんなり後任が決まるはずが
この2人が総理になる前、1960年代から70年代初めにかけては佐藤栄作氏が首相でしたが、首相を辞める際は福田氏に禅譲すると言われていました。
というのも、かつての大物・吉田茂首相は官僚が好きだといわれていて、池田勇人氏、佐藤氏と、元官僚が続いていたため。
ところが、佐藤氏の次に首相になったのは、福田氏ではなく田中氏でした。
実は佐藤氏が禅譲を考えた時、田中氏が「沖縄本土返還を目指さなくてどうするんですか!あと4年間(首相を)やりなさい」と説得、首相続投となりました。
その間に田中氏は1人ずつ自分の派閥に取り入れていき、福田氏にそのまま渡すことはできない状況となり、総裁選に持ち込まれていったのだそうです。
田中氏と福田氏は拮抗していましたが、後に総理となる中曽根康弘氏がどちらに付くかが焦点となり、結果田中氏が勝利しました。
今の争いは穏やか?
大川は角福戦争以外にも、大平正芳総理が急死後、中曽根氏が「後任は自分で決まりだろう」と思っていたら鈴木善幸氏に決まったという話や、小泉純一郎首相が派閥の力学を超えて総裁選に勝利した話など、政治の権力闘争の凄まじさについて語りました。
北野も大川も、過去の争いと比べると、今回はそれほど激しさを感じていない様子。
大川「激しいバトルをしていないので、これで例えば習近平氏やプーチン氏と渡り合えるのか、向こうは命を賭けてたりしますから、本当にこういった人たちに対抗できるのか?」
政治資金の問題により派閥が解消されたことで、大きな権力争いはなくなりましたが、大川はあらためて「今回の総裁選では、政策論争をしてほしい」と力を込めました。
(岡本)