「ヘアドライヤー」髪を乾かす道具から美容の必需品に進化させたニッポン開発魂
「ヘアドライヤー」が誕生したのは、19世紀末のヨーロッパだった。熱を伝えるニクロム線の発明によって、電気を熱として利用することが可能になった。掃除機用のモーターを取り付けて、温風を送り、髪を乾かすことに使った。“金属製の帽子を頭にかぶる”イメージの大型の機器で、美容院では椅子に座って、髪に温風を浴びたという。
海外での発明を受けて、日本でも松下電工(現・パナソニック)が「ヘアドライヤー」の開発に乗り出した。1937年(昭和12年)に発売された「ホームドライヤー」は、本体が真ちゅう製で、現在のように手に持つタイプではなく、机の上に置いて使用した。4枚のプロペラファンによって、風を送るのだが「温風」と「冷風」の2種類だけ、それをボタンで切り替えた。当時の日本では、「髪の毛は自然に乾かすもの」という習慣だったため、せっかくの国産「ヘアドライヤー」も、ホーム(家庭)で使われるよりは、主に美容院などでの業務用だった。
戦後の高度成長期を迎え、日本では、家庭で風呂に入る「内風呂」が多くなった。同時に頭を洗う、いわゆる“シャンプーする”という習慣も広がっていった。このため、洗った髪を自然乾燥ではなく「乾かす」ことが求められるようになった。そこで「ヘアドライヤー」の出番がやってきた。松下電工は、1962年(昭和37年)に、ピストル型のヘアドライヤーを発売した。この形は日本独自の開発だった。ヘアドライヤーを片手で持つことができるようになり、もう片方の手で髪を触りながら乾かすことが可能になった。画期的な進化だった。海外でも、同じようなピストル型の製品を作る国が登場した。
ヘアドライヤーは、急速に一般家庭に広がっていった。世の中の動きが加速する中、「髪を乾かす」から「髪を早く乾かす」ことが求められるようになった。パワフルな風で素早く髪を乾かすことができる1300ワットのターボドライが人気となる。しかし、今度は、熱風を髪に当てすぎると髪が傷むのではないかという声が出始めた。そこから「髪にやさしい風」「静かな風」を求めて、ニッポンの開発魂が躍動する。
開発チームが研究を続ける中、研究スタッフのひとりが「肌に効果があるならば、髪の毛にもいいのでは?」と、お肌用のスチーマーを髪に当ててみた。すると、髪の毛はしっとりとして、ツヤツヤになった。そこで、ヘアドライヤーにスチーマーを組み合わせることになった。2001年(平成13年)、温風と共にマイナスイオンが出るドライヤー「イオニティ」が発売された。
開発チームは、マイナスイオンに続き、室内の空気清浄機で脱臭などに使われている「ナノイー」に注目した。ナノイーの水分量は、マイナスイオンの1000倍以上、さらに水気を保つ時間も格段に長かった。ナノイーを活用した「ナノケア」が、2005年に発売された。最初は、ナノイーを発生させるための水タンクが付いていて、補給などに手間がかかったが、空気中の水蒸気をそのまま取り込むことができる新製品が、わずか1年後に登場した。
「髪を乾かす」というヘアドライヤーの役割は「乾かすと同時に守る、健やかにする」ところへ向かった。髪の傷みの原因のひとつに紫外線がある。そのダメージによるケアをどうするか。キューティクルを剥がれにくくすることが、紫外線ケアに効果があることが分かり、同時に地肌も整えることが可能になる。白金を加工した特殊な電極から、強いマイナスイオンを発生させる装置を開発し、2009年には、紫外線のケアをサポートするヘアドライヤーが発売された。
ヨーロッパで生まれ「髪を乾かす」道具だったヘアドライヤーは、日本の開発技術によって、「髪を早く乾かす」から「髪を守る」、さらに「美しい髪を保つ」そして「髪だけでなく地肌も守る」という、めざましい進化を遂げた。今や美容家電の代表格にまで成長した。そして、「快適に髪を乾かす」という、さらなる高みに昇り続けている。
「ヘアドライヤーはじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが、“美しい髪を撫でる温風に吹かれながら”そよいでいる。
【東西南北論説風(420) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。