PTAは必要?それとも不要?コロナ禍で迎えた教育活動と存在の曲がり角
戦後の日本でずっと続いてきた制度が曲がり角を迎えようとしている。PTA活動である。以前からメリットとデメリットなどが論じられてきたが、2022年の夏、それを加速する大きな動きがあった。東京都の小学校PTA協議会が、来年3月にPTAの全国組織から脱退することを決めたのである。
PTAその歩みとは?
PTAは「Parent-Teacher Association」を略したもので、「Parent」(親)「Teacher」(教師)Association(連携)の意味。文字通り、親と学校が子どものためにスクラムを組む活動である。このPTA、もともとは米国で生まれたと言われている。19世紀末に、母親たちが中心の協議会を作って、子どもたちのための活動を始めた。しかし、なかなか広がりがなかったため、父親や教師にも声をかけて「父母と教師の協議会」を作った。これがPTAの始まりである。日本には、太平洋戦争後に持ち込まれた。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)マッカーサー元帥が指導して、文部省(現・文部科学省)と共に、終戦後わずか2年の1947年(昭和22年)、各地でPTA作りが始まった。戦後まもない頃で、学校の教材が不足していたり、学校給食を始めたり、ちょうど子どもたちを支援する活動が必要な時期だった。PTA活動は全国に一気に広がり、1952年(昭和27年)には、全国組織ができた。現在の「公益社団法人・日本PTA全国協議会」。今回、東京都の小学校PTA協議会が退会を決めたのが、この全国組織である。
意外に知らない“参加自由”
当時の文部省の報告書には「児童生徒の健全な成長を図ることを目的とし、親と教師が協力する」とあるように、PTAは親と教師による子どもたちのための活動が目的である。実は、PTAは“学校から独立した団体”であり“参加を強制されるものではない”。言わば“任意加入の団体”なのである。しかし、それを知らない人も多く、子どもが学校に入学すると「自動的にPTAに入るもの」と思っている親も少なくないようだ。PTA活動に参加すれば、会費も必要になる。役員の仕事もまわってくる。75年もの長い歴史の中、こうした負担の面がクローズアップされてきたことも現実だった。
役員の負担は重いという声
今回の東京都の退会問題でも、会費を納めることへの疑問や会員の声が反映されない不満などが理由にも上がったが、これまで指摘されてきたPTAのデメリットには、以下のものがある。まず「役員の負担」。親の中から誰かが、会長、副会長、クラスの委員など役員をやらなければならない。役員会のために学校へ行かねばならないし、平日の夜に開催される場合もある。週末に学校行事や地域の講演会があると、役員として出席しなければならない。仕事をしている人もいれば、2人目の子どもがまだ小さい人もいる。自分の生活が忙しい中でのPTA活動は負担が重い。ましてや基本“無報酬”である。次に「会費がかかる」。PTA会費を支払わなければならない。平均して年額2000~3000円、しかし、もっと高額のところもある。そして「人間関係」。役員同士、父母同士、学校の教師、他の地域のPTA役員など多くの人と接触し、トラブルが起きる場合も否定できない。
教育活動には良き機会
その一方で、PTA活動のメリットもある。まず「学校へのアピール」。役員などを担当していると、学校や教師との距離は近くなるため、自分の意見を直接、伝えることができる。次に「子どもへの関心」。PTAの役員会などで学校へ行く機会も多くなるため、授業や休み時間など、我が子やその周囲の子どもたちのいろいろな様子を見る機会が増える。とても貴重なことだろう。そして「人脈の広がり」。活動を通して、同じ保護者だけでなく、教育関係者、地域の人たちとも知り合い、多くの情報交換ができる。長い間続いてきた制度だけに、こうした活動の基盤はある意味で安定していると言えよう。
こうしたメリットそしてデメリットを、PTA活動に関わる人たちそれぞれが一度ふり返ってみるタイミング、それをもたらしたのは新型コロナによる感染拡大だったようだ。長引くコロナ禍によって“人と会うこと”“集まること”が制限されて、PTAの活動も大きな影響を受けてきた。社会では、様々な会合など当たり前のように続いていた習慣も見直されている。ちょうど75周年を迎えた日本のPTA活動が、これからどう歩んでいくのか。今後、全国各地で議論を呼ぶことになりそうだ。
【東西南北論説風(357) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】