国産の「歯ブラシ」はこうして生まれた!歯の健康を守る心意気と究極のアイデア
歯みがきをしていますか?6月4日は「虫歯予防デー」。歯の病気を防ぐ歯みがきの習慣は、紀元前の古代ギリシアからあったと伝えられている。15世紀に中国では、骨に豚の毛を植え付けたブラシのようなもので歯をみがいたという記録もあり、これが世界で最初の「歯ブラシ」ではないかと見られている。
日本には、江戸時代に「ふさようじ」という、木の枝の先を煮たり叩いたりして柔らかく“ふさ”のようにした道具がお目見えして、「磨砂(みがきすな)」という粉を使って、歯をみがいたようだ。そんな江戸末期、1852年(嘉永5年)に武蔵の国(現・埼玉県)で生まれた小林富次郎さん。石けんを作る工場で働いていたが、その後に独立して、東京で「小林富次郎商店」を創業した。石けん作りからスタートした小林富次郎商店は、その後、歯磨き粉を作り始める。歯の臭いを消し、虫歯も予防できる。自慢の歯磨き粉ができたものの、それに見合う“道具”がない。今で言う歯ブラシ。そこで歯をみがく道具「歯ブラシ」も自分たちで作ることを決意した。
東京歯科医学専門学校(現・東京歯科大学)の指導を受けながら、国産の歯ブラシ作りをスタート。開発のポイントは2つあった。「毛先」そして、手で握る「柄」の部分だった。「毛先」には弾力性があって切れにくい豚の毛を使った。さらに歯の並びにぴったりと合うように、ブラシの毛は一列に揃えた。「柄」の部分には、丈夫な上に熱湯での消毒にも耐える牛の骨を使い、持ちやすくて口の中でも使いやすいように、柄の形には太い細いというメリハリもつけた。こうして、1914年(大正3年)に、歯ブラシ第1号が完成した。小林商店はこれに「萬歳歯刷子(ばんざいはぶらし)」と名前をつけた。この歯ブラシは、男性用と女性用があり、その後、子ども用、毛の硬いもの、毛の柔らかいものなど、様々な種類の型が取り揃えられていった。さらに完全消毒した上で、1本ずつ個別に包装して売り出す徹底ぶり。使う人に寄り添った細やかな対応だった。その頃すでに創業者の小林さんは亡くなっていたが、「歯の健康を守る」という熱い思いは、しっかりと受け継がれていた。
時代が昭和に入った1927年(昭和2年)、この歯ブラシは「ライオン歯刷子」と名前を変えた。小林さんが最初に作った歯磨き粉の商品名「獅子印ライオン歯磨」から「ライオン」というブランドが採用された。小林富次郎商店、現在の会社名は「ライオン株式会社」である。ライオンの歯ブラシは人気商品となったが、太平洋戦争が始まると、柄に使う牛の骨が不足した。このため合成樹脂を用いるようになり、やがてセルロイドになった。戦後はブラシ部分の毛についても開発が進み、化学繊維のナイロンが使われるようになった。こうして「ライオン歯刷子・ナイロン1号」は1959年(昭和34年)に発売された。
国産「歯ブラシ」の進化は続く。ブラシの毛先が凹凸になって汚れを落としやすいもの、極細の毛によって歯間に入り込むもの、旅行用の携帯用歯ブラシ、そして電動の歯ブラシ。日本の開発技術によって進化を続ける歯ブラシは、今や私たちの暮らしに欠かせないものになった。
モノを食べるという“生きること”の原点、そのために欠かせない大切な歯を守ろうというたゆみない開発努力。「歯ブラシはじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが“口元キラリと”輝いている。
【東西南北論説風(344) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。