世界に走った衝撃!ゴーン被告の逃亡劇で考える「司法」と「国境」の重み
生まれて初めての海外旅行は、大学時代に大きなリュック1つを背負って、その日その日の宿探しをしながら回ったヨーロッパだった。送り出してくれた旅行会社から言われた言葉は「命の次に大事なものはパスポート」。それがなければ国境を越えることはできず、帰国することもできないと何度も注意された記憶がある。
大晦日に衝撃走った「大脱走」
令和初となるお正月を迎えようとしていた2019年の年の瀬、その国境をいつのまにか越えた人物がいる。それも保釈中の身でありながら。
日産自動車の前会長カルロス・ゴーン被告。その“逃亡劇”に大晦日の街には衝撃が走った。
最初「私はいまレバノンにいる」という声明を知った時には、何のことだか首を傾げた人も多かったと拝察する。特別背任などの罪で起訴されて保釈中だった被告が、なぜ中東のレバノンにいるのか。
五輪のマリオのようには?
2016年リオデジャネイロ五輪の閉会式で、マリオに扮した安倍晋三首相が紹介映像に連動した形で日本からリオへ地球の中を横断したかのように登場したのとは訳が違う。
地底を抜けることはできない。パスポートは弁護団が保釈条件として保管していたはずであり、そもそも世界中であれほど顔を知られた人物が出国手続きで見逃されるはずがない。かつての保釈時のような「作業員」姿に扮していたとしても。日本という法治国家でそんなことが起きるわけがない。いや、しかし起きたのである。
今なお謎めいた逃亡劇
初めの頃「ゴーン被告が出国」と報じていた一部メディアも「出国」ではなく「逃亡」と言い直し始めたのは年が明けてからだった。次第に明らかになる逃亡劇の実態は、まるで映画かドラマのようでもある。
東京にいたゴーン被告は新幹線で大阪入りし、ホテルで大きな箱に身を隠し、関西空港へ。そこに待機していたプライベートジェットで経由地のトルコに向かったと見られる。
プライベートジェットの場合、保安検査は機長に委ねられているため、エックス線検査もなかった。日本からの出国は明らかに非合法でも、レバノンへの入国はもうひとつあった別のパスポートによって合法的に行われたという情報もあれば、「旅券は使用されなかった」という情報もある。
ゴーン被告が司法制度などを批判し続けている「日本」という国、そのことわざで例えさせていただくならば、すべてがすべて「狐につままれたような」感じである。干支に「狐」はない。
抽象的だったレバノン記者会見
ゴーン被告は逃亡先のレバノン、その首都ベイルートで、2020年1月8日、記者会見に臨んだ。世界の注目を集めたが、およそ2時間半の会見内容は「ゴーン独演会」の様相で、日本の司法制度と日産自動車の旧経営陣らへの批判が中心だった。
最も知りたかった逃亡方法についてはまったく語らなかった。また自分の逮捕起訴に関わったとしてきた日本の政府関係者についても、「レバノン政府に配慮」という理由で名前を明らかにしなかった。逃亡の正当化をくり返し主張しながらも、具体性に欠けたものだと言わざるをえない。
有罪?無罪?実は難しい裁判が待っていた
ゴーン被告が日本を出国しなければ、今年の春にも初公判が予定されていた事件の裁判は、専門家の間でも「犯罪事実は確立していない」と無罪の可能性さえもあると見られている難しい裁判である。役員報酬の虚偽記載についても、また特別背任についても、ゴーン弁護側が「事実はなかった」と発生そのものを争ってくるという見方もあった。
それだけに、逃亡先において抽象的な主張をするくらいならば、法廷の場で自分の主張を堂々と述べた方が、これまでの「ゴーン・スタイル」に合っているようにも思える。
自己弁護に終始した会見であり、フランスなど海外メディアですら冷ややかな見方があった。
何より、このまま法廷の場が失われると、事件全体の真相が見通せなくなる。このような国外逃亡によって、保釈中の被告が裁判をパスできることは司法の歴史の上であってはならないことだ。その一方で、保釈中の被告をどのように監視するのかといった制度改正の検討にますます拍車がかかることになるだろう。
国際社会が見つめている
世界中から注目された逮捕劇から1年余り。事件の真相に迫るためにも、日本政府はレバノン政府に対し、被告の身柄引き渡しを強く求め続けるべきである。そうでなければ「法治国家」とは一体何なのかという、わが国の制度自体が簡単に否定されることになる。そして「国境」の重みと意味も大きく揺らぐことになる。世界がそれを見つめている。
「命の次に大切なものはパスポート」こう言われた昭和の時代が、一気に遠ざかる錯覚に苛まれた令和最初の新年である。
【東西南北論説風(146) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】