日本の「道」を巡る かつての東京の玄関口「万世橋駅」が閉業した理由は
ミキの昴生と亜生の2人がMCを務める『道との遭遇』。全国の道に特化したVTRをミキが様々な視点で楽しんでいきます。
今回は 道マニア歴25年「松村真人」さんが厳選した、秋葉原の道を巡ります。
日本有数の電気街として有名な秋葉原ですが、道を辿ると意外と知らない歴史が見つかりました。まずは都道437号(別名:中央通り)を南に進んでいきます。すると、万世橋という橋が見えてきました。実はここから、都道から国道にかわっています。この万世橋から国道になる、つまり道のランクが上がっていることから「この道が重要な道だということがわかる」と松村さんは言います。
なぜ、万世橋が国道なのかというと、かつてこのあたりには万世橋駅という駅が存在していました。この万世橋駅は明治45年から、昭和18年まで実際に使用されていた駅です。日本初の駅前広場として開業しており、近くには路面電車の乗り換えポイントも数多くありました。つまり、この駅が"東京の正面玄関口"でした。
それが、この道が都道から国道になった理由です。しかし、万世橋駅の栄華は長くは続きませんでした。大正3年に東京駅が完成したことで、路線の組み替えが行われ、万世橋駅は終着駅ではなくなり、利用者は減少してしまいました。そして更なる悲劇が、万世橋駅を襲います。それが、関東大震災。江戸の名残で発展してきた街を50年ぶりに作り直そうという動きが起こり、その結果として、大規模な道路の作り変えが行われることに。それに伴い、万世橋駅は人出もなくなり、昭和18年に閉業しました。閉業してからおよそ80年たった今は、建物の一部を残し、カフェなどが入るおしゃれスポットとして賑わっています。
さらに、万世橋の作りをよく観察するとある発見ができます。それは、東京駅の造りとよく似ている事。なぜならば、万世橋は東京駅の同じ建築家の辰野金吾さんがデザインを手掛けたからでした。
松村さん曰く、この万世橋には、ある謎が残されているそうで。それが、万世橋の下にある謎の階段。入口も出口も無い場所ありません。
この道は千代田区にも資料がなく、謎のまま。巷では公衆トイレだったのではないかと言われていますが、松村さんの考察は、「下に通っている地下鉄を造る際に、船で資材を持ってきた時に、作業スペースとして使っていたんじゃないか」と推測しています。最後に松村さんは「街を観ないで道を観たとか言えないし、道を観ないで街を観たとか言えない。都会は密接に緻密に折り重なっている」と語っていました。
(6月28日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より)