落合ドラゴンズ衝撃の開幕戦!「先発は川崎憲次郎」に球場どよめく(25)
落合博満新監督のシーズン開幕戦は2004年(平成16年)4月2日。
当時は予告先発もなかった。この夜、ナゴヤドームにコールされた先発投手の名前を聞いた瞬間、私は飛び上がった。これは多くのファンも同じ思いだったろう。
「ピッチャー川崎憲次郎、背番号20」
先発・川崎の驚きと逆転勝利
私たちドラゴンズファン含めて、一体誰がこの先発投手を予想しただろう。ヤクルト・スワローズからFA宣言をしてドラゴンズに入団したものの、肩の故障から3年間一度も登板なし。ファンの間でも失望感が漂っていた。
その川崎投手が先発、それも落合ドラゴンズの記念すべき最初のゲームである。
1回こそ抑えたものの、2回にカープ打線につかまり5点を献上。5対0のスコアに、現実はきびしいなあと正直思っていた。ところが、今年のドラゴンズは違っていた。
7回裏の時点でまだ3点差だったが、それをはね返し、結果は8対6の大逆転で開幕戦を勝利で飾った。このシーズンから抑えに指名された岩瀬仁紀投手が初セーブをあげた。
驚きの川崎先発について、落合監督はこう話した。
「このチームを変えるには、ケガで3年間苦しんだ川崎が必要だった」
野口投手も続いて連勝
劇的な開幕戦の勝利の翌日、私はナゴヤドームに観戦に訪れた。社会人になってから、開幕直後のこんな早い時期に球場へ駆けつけたのは初めてのことだった。それほど落合新監督の野球を楽しみにしていた。
先発は野口茂樹投手。ドラゴンズは2回裏にアレックス選手のホームランなどで一気に7点をあげて、結果は8対4で完勝した。
スタンドでの懐かしい再会
この日は内野席で観戦していたのだが、ふと気づくと1塁ベンチ上付近で、観客が立ち上がって、ある一角に拍手を送っている。目を凝らして見ると、そこには落合監督夫人の信子さんの姿があった。その隣りにいる男性は、息子の福嗣君か?
イニングの合い間に通路を抜けて、二人のところへ向かった。
久しぶりの再会だった。信子さんは相変わらず気さくで明るく、かつて落合選手の腕の中でスヤスヤと眠っていた幼い福嗣君はこの時、高校2年生になっていた。
ゲーム中だったのでゆっくり話し込むこともできなかったが、信子さんから嬉しいひと言があった。
「福嗣にいただいたベビーふとん、和歌山の(落合)記念館で今でも大切にとってあるのよ。フワフワです」
出産祝いに実家の寝具店から届けたベビーふとん。すでに店は閉めていたが、「良いふとんは一生もの」と折々に言っていた父に伝えたらさぞや喜ぶだろうと思った。
初の選手会ストライキに涙
アテネ五輪で、福留孝介、岩瀬仁紀という中心選手を欠きながらも、落合ドラゴンズの快進撃は続いたが、その年のプロ野球界には、大きなニュースが起きた。プロ野球選手会労組(選手会)による、史上初のストライキである。
近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブの合併という球界再編案に端を発し、選手会はストライキを決定。9月18日(土)19日(日)の2日間、日本プロ野球で初めて、ストによりゲームがなくなったのである。これはショックだった。
幼き頃から、球場の歓声と共に生きてきた自分にとって、「野球のゲームがない」という事実は耐え難いことだった。
優勝にひた走るドラゴンズを応援するために用意していた9月18日ナゴヤドームでのジャイアンツ戦チケットも、未使用のまま日記にはさむことになった。
この2日間のゲーム中止で、ドラゴンズの優勝ペースに影響が出ないか心配だったが、それは杞憂に終わり、ドラゴンズはマジック1で、10月1日を迎えた。
宙に舞った落合監督
ナゴヤドームに広島東洋カープを迎えてのゲーム。私は勤務するCBCテレビで編成部に所属して、スタジオサブでゲームを見守った。CBCテレビの中継日だった。これまで過去にCBCはドラゴンズの優勝胴上げをテレビで生中継する機会に恵まれなかった。今夜それが実現するかもしれない。ファンとしての思い、そして仕事への思い、この2つのベクトルは「ドラゴンズ勝利」で一致していた。
ゲームは投手戦でハイペースに進んだ。ドラゴンズはサヨナラ勝ちのチャンスがあったが勝ちきれず、1対1のまま延長戦に突入。そのゲーム途中に2位ヤクルト・スワローズが負けたため、ドラゴンズの優勝が決まった。ファンとしての喜びを抑えながら、あとは落合監督の胴上げをきちんと中継することに注力した。延長12回、満塁ホームランを打たれて、その裏に1点は返したものの、結局5対2で敗戦。負けての優勝決定となったけれども、5年ぶり6回目の優勝に水を差すものではまったくなかった。
落合監督は5度宙に舞い、ナゴヤドームは歓喜に包まれた。
CBCは開局史上初、テレビでドラゴンズの胴上げを中継することができた。瞬間最高視聴率は実に57.4%だった。
竜に立ちはだかった松坂と和田
西武ライオンズとの日本シリーズ。ドラゴンズはナゴヤドームでの第2戦、立浪和義選手がライオンズのエース松坂大輔投手から劇的な3ランを打つど、好ゲームを続け、3勝2敗と日本一に王手をかけて名古屋に帰ってきた。
勝てば50年ぶりの日本一となった第6戦。しかし、この日のテレビ中継は他局が担当、そして翌日の第7戦にもつれ込んだ場合は、わがCBCが中継の担当日だった。
勝っていたゲームは、後にFA宣言してドラゴンズの一員になる和田一浩選手に逆転ホームランを打たれて敗戦。3勝3敗のタイになり「さあリーグ優勝に続き日本一の胴上げも中継だ」と張り切ったものの、第7戦は序盤からライオンズがドラゴンズを圧倒して、2対7で完敗。ライオンズは劇的な逆転日本一を飾り、ドラゴンズはまたしても日本一の夢を絶たれたのだった。私たちにとって日本一の胴上げ中継は、落合ドラゴンズ2年目以降へと持ち越されることになった。(2004年)
【CBCテレビ論説室長・北辻利寿】
※ドラゴンズファンの立場で半世紀の球団史を書いた本『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』(ゆいぽおと刊・2016年)を加筆修正して掲載いたします。