岩瀬仁紀さんの引退試合に思うドラゴンズ背番号「13」今後の行方は?
この背番号と会える日、次はいつになるのだろうか。
ナゴヤドームのマウンドに帰ってきた背番号「13」のユニホーム姿を見ながら思った。2019年3月2日オープン戦で行われた中日ドラゴンズの元投手・岩瀬仁紀さんの引退試合である。20年にわたってゲーム最終盤で見慣れてきた「13」番。この日もまったく違和感はなかったが、球界屈指の守護神との別れと共に、背番号「13」への別れもファンには寂しいものがあった。
ドラゴンズ「永久欠番」の動き
2018年シーズンで引退した岩瀬仁紀さんの背番号「13」について、一部のファンの間で「永久欠番にならないか」という声が巻き起こった。前人未到の1002試合登板に加えて、抑えの切り札として日本記録である407セーブ達成、この実績なら当然のウェーブであった。
球団もすぐに別の選手に渡すことはなく「いずれふさわしい選手がいたら」としているようだ。納得できる判断である。
ドラゴンズで永久欠番をめぐってファンの話題になったのは、2009年(平成21年)の立浪和義選手の引退以来であろうか。当時もファンの間では、立浪選手の背番号「3」を永久欠番にしてほしいと署名運動まで起きた。
2つある「永久欠番」の思い出
ドラゴンズには永久欠番が2つある。「10」と「15」であり、いずれも1958年(昭和33年)に決まった。
背番号「10」は服部受弘選手。
キャッチャーとして名古屋軍に入団して、1941年(昭和16年)にホームラン王を獲得。太平洋戦争をはさんで、1949年(昭和24年)に今度は投手として24勝を挙げた。その後再び野手としてサードや外野も守った。打者としては通算33ホームラン、投手としては112勝を挙げた万能選手だった。
背番号「15」の西沢道夫選手。
同じく名古屋軍に入団した西沢選手は16歳で投手としてデビュー、今なお日本プロ野球の最年少出場記録である。1940年(昭和15年)には20勝を挙げる。終戦後に打者に転向、1950年に46本塁打を打つ。2年後には首位打者と打点王の二冠を達成した。投手として「20勝」、野手として「40本塁打」を記録した唯一の選手である。
くしくもドラゴンズの永久欠番2人はいずれも、今でいう“二刀流”というところが興味深い。以来60年余り、ドラゴンズの永久欠番は「10」「15」この2つである。
巨人は「永久欠番」の宝庫!
讀賣ジャイアンツの本拠地である東京ドームにはスタンドに「永久欠番プレート」が飾られている。「1」王貞治、「3」長嶋茂雄、「4」黒沢俊夫、「14」沢村栄治、「16」川上哲治、そして「34」金田正一とその数は6人。さすがにジャイアンツである。
次に多いのは阪神タイガースと広島東洋カープの各3人、ドラゴンズはそれに続いている。
平成で大活躍した3人の竜戦士
まもなく幕を下ろす平成という時代の30年間に限れば、ドラゴンズで永久欠番が検討されるに値した選手は3人、岩瀬さんの他は「3」立浪和義さんと「34」山本昌さんだと思う。
立浪さんは打者としてのタイトルには縁がなかったものの通算二塁打487の日本記録を持ち、2019年1月に野球殿堂入りした。
山本昌さんは最多勝3、最優秀防御率1、最多奪三振1という数々のタイトルに加え沢村賞も受賞している。50歳まで現役でマウンドに立ち球団最多の219勝を挙げた。岩瀬投手と並び「34」は現役引退当時に十分に永久欠番検討の価値はあった。
エースナンバー背番号「20」
そんなドラゴンズにおいて永久欠番のハードルを高くしたのは背番号「20」であろう。1954年に初の日本一に輝いた時の大エース杉下茂さんが背負った番号、山本昌さんに抜かれるまで211勝は球団最多記録だった。
そして杉下さんが「背番号20をエースナンバーにしたのは権藤」と褒める権藤博さん。新年早々に野球殿堂入りした。その「20」ですら永久欠番にならなかったのだから、その後はなかなか続かない。歴史というものはやはり重いものだ。
星飛雄馬は「永久欠番」を復活させた
2019年シーズンのドラゴンズは、岩瀬投手の「13」、同時に引退した荒木雅博内野手の「2」を誰かに付けさせることはなかった。「20」も引き続き空き番号のままである。こうしたリスペクトは評価したい。背番号は“選手の顔”であり“チームの看板”である。しかし永久欠番になると、その背番号を背負った選手をグラウンドで目にする機会はなくなる。ドラゴンズの「10」「15」をもう60年以上もファンは目にしていない。
昭和を代表する野球漫画『巨人の星』シリーズで主人公の星飛雄馬は、投手として川上監督の「16」を、そして打者として長嶋監督の「3」を背負ってプレーした。そんな架空のドラマにプロ野球ファンは胸をときめかせたものだ。
「永久」というハードルが高いのならば「期間限定」の欠番は検討できないのだろうか。
「準永久」というある意味曖昧なものではなく10年とか20年とか期間を明解に決めて、それが経過した後にふさわしい選手が現れた時、その背番号を再びグラウンドに戻す。
プロ野球の歴史は続く。素晴らしい功績のある背番号だからこそ、その背番号が付いたユニホームの躍動を実際にこの目で見てみたい。そして同時にかつての名選手、スタープレーヤーに思いを馳せたい。「期間限定欠番」の導入、いかがだろうか?
【CBCテレビ論説室長・北辻利寿】
※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。