日本生まれ!鉛筆型・水性インク・ゲルインクの魅力~ボールペンはじめて物語(1)

日本生まれ!鉛筆型・水性インク・ゲルインクの魅力~ボールペンはじめて物語(1)

ボールペンとは実にすごい筆記具である。ペンの先に金属などで作られた小さなボールがあり、それを包み込むようにホルダーがある。ボールとホルダーの間にある、狭い隙間。ボールが回転することでインクがそこに送られて、線などを書くことができるのだ。何とも見事な“システム”である。

その構造は19世紀末の米国で考え出された。特許まで申請されたが、隙間からのインク漏れがひどくて、実用化には至らなかった。商品化したのは、ハンガリーのラディスラオ・ピロさん。新聞社で校正の仕事をしていたが、新聞を印刷するインクは粘度が高いため、にじみにくく乾きやすいことに気づく。それを応用して、1943年に世界で最初の「ボールペン」が誕生した。そのボールペンは、1945年(昭和20年)に終戦と共に、進駐軍のアメリカ兵によって、日本に持ち込まれた。しかし、当時は万年筆ように太く、持ちにくい上、書き心地も決して良いものではなかった。そこで、国産のボールペン作りがスタートした。

CBCテレビ:画像『写真AC』より「ボールペン」

持ちやすさを改良したのはオート株式会社。1919年に中田藤三郎さんが創業した会社が前身で、1949年(昭和24年)に鉛筆型のボールペンを開発した。それは日本人の手にはなじまなかった輸入ボールペンを、慣れ親しんだ鉛筆のように細くした工夫だった。この“鉛筆型ボールペン”は「オートペンシル」と呼ばれて人気を集めた。

文字の太さも考えた。アルファベットとは違い、漢字を書くために文字は細く書けることが求められた。オート社は、1958年にペン先に入れる小さな0.6ミリのボールを開発した。これによって極細の文字が書けるようになった。オート社が、日本でのボールペンの歴史にさらに大きな足跡を刻んだのは、世界初「水性ボールペン」の開発だった。インクの粘りを弱くすることで、ペン先から出やすいようにした。書き味はさらさらとして、海外でも売り出される人気商品になった。

ボールペンのボディーも透明化された。1967年(昭和42年)にゼブラ社は、中芯のパイプだけでなく、本体自体が透明なプラスチック製のボールペンを開発した。外からでもインクの量がひと目分かる画期的な発想だった。さらにゼブラ社は、それまで黒・青・赤それぞれの単色だったボールペンを1本に、すなわち3色の芯をひとつにまとめた「3色ボールペン」を開発。それはやがて、ボールペンとシャープペンを合体させた「シャーボ」へと結びついていく。

CBCテレビ:画像『写真AC』より「カラーボールペン」

続いて、クレヨンでおなじみのサクラクレパス社が、インクを改良した。油性インクは書きづらい、水性インクは水で滲みやすい、それぞれの問題点を解決しようと開発されたのが「ゲルインク」だった。中芯のパイプの中ではゲル状でちょっと固め、ボールが回転すると摩擦熱によって粘り気はなくなりスムーズに書ける、しかし紙面につくと冷えることで再びゲル状になって固まる。この3段階によって、滑らかに書ける、滲まない、キャップも不要、そんな世界で最初の「ゲルインクボールペン」が生まれた。

サクラクレパス社はこのゲルインクの特性を活かして、色とりどりのインクも開発した。黒色、青色、赤色に加えて、黄色、緑色、ピンク色など、実に40色ものボールペンを作り、1984年(昭和59年)に「Ballsign(ボールサイン)」として発売した。

欧米で生まれたボールペンを、めざましい改良によって進化させたニッポン。まさに“ボールペン大国”と言えるだろう。「ボールペンはじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが“自慢のインクとペン先によって”しっかりと書き込まれている。

そして「ボールペンはじめて物語」は続く。次回は、世界をあっと驚かせた“究極のインク”誕生秘話・・・。
          
【東西南北論説風(373)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。

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