誰かに話したくなる!国会議員と選挙にまつわるあれこれ〜知れば知るほど深い世界(1)

誰かに話したくなる!国会議員と選挙にまつわるあれこれ〜知れば知るほど深い世界(1)

【はじめに】

衆議院議員の任期が迫ってきました。ということは、総選挙近しということになりますね。

日本は民主主義国家です。総選挙はわたしたち有権者が衆議院議員を選ぶだけでなく、これからの国のありようを決める大変重要な選択の機会です。

でも、総選挙とは何か、そもそも国会議員とは何か、基本の基本から問われるとあまりにも当たり前すぎて戸惑ってしまうかもしれません。

わたくしはCBCで選挙報道に携わって30年ほどになりますが、正直いいますと、やはり、はじめはそうでした。ですが、国会議員というもの、そして、その選挙について、知れば知るほど奥が深く、これらにまつわる今の制度の裏に、過去の色々ないきさつと、色々な人の知恵が詰まっていると今では感じます。

そこで、これから、「国会議員と選挙にまつわるあれこれ」にさまざまな角度からスポットライトを当ててみます。

そこにどんな姿が浮かび上がってくるのでしょうか。きっと誰かに話したくなると思いますよ。

【憲法に関係する二つの祝日】


まずは、国会の仕組みそのものを考えてみましょう。  

日本の国会には衆議院と参議院の二つがあります。これを二院制といいます。これは、わたしたちの国のあり方を決める日本国憲法に規定があります。

日本国憲法は、第二次世界大戦後に、それまで明治時代からあった大日本帝国憲法(ここからは、主に、明治憲法と呼びます。日本国憲法は、今の憲法などと呼ぶ場合があります。)にかわり、1946年11月3日に公布(その法律をひろく国民に知らせること。天皇陛下の国事行為です。)され、47年5月3日に施行(実際に法律が効力を持つこと。)されました。

 あれ?のっけからちょっと脱線しますが、いずれも国民の祝日ですね。5月3日はまさに憲法記念日。11月3日は文化の日です。

 11月3日は明治天皇のお生まれになった日で、明治時代は天長節、明治天皇がお亡くなりになったあと1927年から新憲法施行の1947年までは明治節という祝日でした。それが1948年に、2年前のこの日に行われた日本国憲法公布を記念する意味も込めて、改めて文化の日という国民の祝日となったのです。

 法律には、文化の日は、「自由と平和を愛し、文化をすすめる。(国民の祝日に関する法律2条)」とあります。

 実は、憲法公布の日、当時の昭和天皇が憲法公布にあたって勅語(今でいう「おことば」)を出されていますが、その結びに、「自由と平和とを愛する文化国家を建設するやうに努めたいと思ふ。(全文は、例えば参議院のWebサイトに掲載されています。)」とあります。

 新しい憲法の元、戦後の日本を、文化国家として再建していこうという思いが感じられます。だから、「文化の日」なのですね。

 いまの憲法については、世の中にいろいろな意見がありますが、わたしたちが、その憲法について思いを致す機会ともなる国民の祝日が、実は二つあるともいえるのです。

【明治憲法を変えたのは誰?】

CBCテレビ:画像『写真AC』より「選挙の様子」

 脱線を続けます。明治憲法から今の憲法にどうやってかわったのでしょうか。

 明治憲法では、国の支配権をもつ主権者(統治権の総攬者と言われました。)は天皇陛下です。

 ですから、手続きの点から見ますと、憲法改正を行うのも天皇陛下になります。天皇陛下が、憲法改正案を当時の国会に付して、さまざまな条件はありますが、基本、国会議員が賛成すれば改正ができるという仕組みでした。

 このような仕組みですから、明治憲法を今の憲法に変えたのは、当時の今上陛下であった昭和天皇です。その憲法改正に当時の国会議員が賛成したという形をとっているのです。(憲法改正については、終戦後日本に進駐、占領政策を進めた連合国軍の総司令部GHQなどの動向ももちろん重要ですが、ここでは手続きに注目しました。)

【8月革命説】

 明治憲法から、今の憲法に変わった際、憲法上の手続きはちゃんと踏んでいるように見えるが、それにしても主権者までかえることができるのか、天皇主権を国民主権にすることは法的に許されないのではないか、という議論が、実は、学者の間でもありました。

 これについて、次のような説明をする憲法学者が現れました。

日本は第二次世界大戦の終戦にあたって、連合国が求めたポツダム宣言を受け入れている。

ポツダム宣言は、日本に国民主権の国を作るよう求めていると考えられるので、日本がポツダム宣言を受け入れた段階で、主権者が天皇陛下から国民にかわるという、いわば法的な革命があったのだ。

これを受けて、改正手続きをおこなったのだから、明治憲法の天皇主権から、今の憲法の国民主権にかわったのは適当なことである。

日本がポツダム宣言を受諾し終戦となったのは、終戦記念日の8月15日、だから、この学説は憲法学者の間で8月革命説と呼ばれます。

この学説には有力な批判もありますが、主権者の交代は、学者が「革命」と名付けるほど大きなできごとだったのです。

今回は以上となります。これからもこんな調子で続けてまいりますので、よろしければお付き合いください。以下次号

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