ハワイで「アロハシャツ」を生み出した日系移民たちの開拓魂と故郷愛

ハワイで「アロハシャツ」を生み出した日系移民たちの開拓魂と故郷愛

ハワイの服装と言えば、真っ先に浮かぶものが「アロハシャツ」。色鮮やかで着心地も良く、リゾートの空間には欠かせないが、実はこの「アロハシャツ」、かつてハワイに移住した日本人が作ったものなのだ。

日本からハワイへの移民が始まったのは、1868年(明治元年)だった。サトウキビ農園で働く労働力が必要となったため、ハワイの国王から日本に、移民の要請があったことがきっかけだった。1885年には明治政府が正式に斡旋する「官約移民」も始まり、大正時代までに20万人以上の日本人が太平洋を渡った。移民した人たちは、ハワイのサトウキビ畑で働き始めた。そんな移民のひとりに、東京出身の宮本長太郎さんがいた。シャツ職人だった宮本さんは、1904年にホノルルに「ムサシヤ」という店を開いた。反物を置いて、注文を受けてシャツを作るオーダーメイドの店だった。

CBCテレビ:画像『写真AC』より「ハワイ・オワフ島の植物」

同じようにハワイにはポルトガルからも多くの人が移り住んだ。その人たちが畑で作業着として使っていたのが「パラカ」と呼ばれる開襟シャツだった。風通しが良く、軽く、そして着心地もいい。「パラカ」はあっという間に日本人社会に広がった。移民たちは日本から持ってきていた着物が擦り切れ始めたら、その生地を使って、子ども用の「パラカ」に仕立て直したりした。「ムサシヤ」でもそんな開襟シャツを作っていた。1915年に長太郎さんは亡くなったが、ハワイ生まれの長男・孝一郎さんが父親の店を継いだ。「ムサシヤ・ショーテン」日本名は「武蔵屋呉服店」として、浴衣の生地で和柄の開襟シャツを仕立てるなど、日本から移ってきた人たちの服作りに奮闘した。

やがて1935年6月28日、店がホノルルの新聞に出した広告記事、ここで初めて「アロハシャツ」という言葉がお目見えした。「アロハシャツ」という商品名に続き「良き仕立て、美しいデザイン、晴れやかな明るい色、既製品と注目品あり、95セント」とある。
世界で初めての「アロハシャツ」が名実共に誕生した瞬間だった。「アロハ」は、ハワイの言葉で「愛情」や「親愛」を表す。出会った人同士が「アロハ!」と片手を上げる。シャツにはそんな親しみやすい名前が付けられた。最初は日本風の和柄だったが、やがてトロピカルな柄が加わっていった。

CBCテレビ:画像『写真AC』より「帽子とサングラスとアロハシャツ」

サンフランシスコとホノルルの間に航路が開けて、アメリカ本土から大勢の観光客がハワイにやって来るようになると、この「アロハシャツ」は土産品として大変な人気となった。
米国でのハワイブームに後押しされて、アメリカのメーカーも次々と製造に乗り出た。サトウキビ畑の作業着がルーツだった「アロハシャツ」は、今では冠婚葬祭などでも着用される。まさに、ハワイにおける男性の正装となり、多くの人に愛されている。

夢を抱いて太平洋を渡った日本人の移民たちが、ハワイで生み出した「アロハシャツ」。その色鮮やかなデザインとさわやかな着心地には、異国の地でたくましく生き抜いた日本人の開拓魂と故郷ニッポンへの限りなき愛がこめられている。日本人が生んだ・・・「アロハシャツは文化である」。
          
【東西南北論説風(260)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿のコレ、日本生まれです」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして紹介します。

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