しっかりしろ!巨人軍~ライバルとしての中日ドラゴンズファンより愛と喝~

しっかりしろ!巨人軍~ライバルとしての中日ドラゴンズファンより愛と喝~

プロ野球・讀賣ジャイアンツの選手がチームメートのユニホームを盗んだ窃盗容疑で逮捕された。この外野手は、坂本勇人や阿部慎之助らスター選手のバット、グラブ、ユニホームなどおよそ110点を球場のロッカーから盗んで売却したとして、逮捕前すでに球団から解雇されていた。

ドラゴンズファンの心の奥底に流れているのは「アンチ巨人」の思いである。
「今夜ドラゴンズどうだった?」「勝ったよ」その会話の後に続くのは「ジャイアンツは?」。古くからの竜党にとって、ジャイアンツへのライバル意識は強いものがある。
「ドラゴンズが勝つだけではダメ。同じ日にジャイアンツが負けてこそ、美味しいビールが飲める」と実家の親はじめ多くのドラゴンズファンの先達から聞かされた言葉である。直接対決の中日vs巨人戦でドラゴンズが勝てば「言うことなし」。
だからこそ、1974年(昭和49年)にジャイアンツの10連覇を阻止した20年ぶりのリーグ優勝はとてつもなく重いものがあり、1987年(昭和62年)に高卒ルーキー近藤真一投手(現・真市)がプロ初登板でノーヒットノーランを達成した時は対戦相手がジャイアンツだっただけに喜びも倍増したものだ。それほど意識している側から見ても悲しくなるのが昨今のジャイアンツの姿だ。

今回の盗難事件の発覚と同じタイミングで、ジャイアンツの別の2選手が今季の出場停止と年俸の10%にあたる罰金処分を球団から受けた。酒に酔って飲食店で裸になり、その動画をSNSに投稿した行為が不適切と判断された。知人限定のサイトとは言え、ことが起きた6月はシーズン真っ只中である。
1年前の2017年には、FAで移籍してきた投手が、これも酒に酔って病院の警備員に暴行し出場停止処分になった。
さらに2015年から2016年にかけては、野球賭博事件がジャイアンツを席巻した。合わせて4人の選手が関わり、これも重い処分を課せられた。ユニホームを脱がざるをえなかった選手もいる。
プロ野球界では、昭和40年代のいわゆる「黒い霧事件」によって多くの名選手がユニホームを脱いだ。その教訓も風化してしまったようだ。平成の野球賭博事件、それが起きた球団が讀賣ジャイアンツであるという重さを感じた。ジャイアンツ自体も重大性を受けとめ、顧問、オーナー、そして会長が辞任した。コンプライアンス体制の強化を推進した。しかし、その綱紀粛正はまったく活かされなかったと言わざるを得ない。

強きジャイアンツをリスペクトしてきたことを否定はしない

「アンチ巨人」と言いながら、実はドラゴンズファンは強きジャイアンツをリスペクト(尊敬)してきたことを否定はしない。
川上哲治監督に率いられ、V9を続けていた頃のジャイアンツはとてつもなく強かった。投手は堀内恒夫、捕手は森昌彦、一塁は王貞治、二塁は土井正三、三塁は長嶋茂雄、遊撃は黒江透修、左翼は高田繁、中堅は柴田勲、右翼は末次利光。ファンでなくてもすぐに名前が浮かぶ顔ぶれ。ONすなわち王と長嶋という球界の至宝はもちろんだが、高田・柴田・末次の外野陣は鉄壁で、どんなフライでもキャッチしたことから「ジャイアンツに右中間、左中間はない」と思っていた記憶がある。いわゆる“倒し甲斐のある相手”だった。
それがここ3年間は優勝から遠ざかり、その上で不祥事が続く。「アンチ巨人」としても正直腹立たしい。

讀賣ジャイアンツで何か事が起きると必ず持ち出される言葉がある。故・正力松太郎オーナーの遺訓「巨人軍は常に紳士たれ」である。
かつて“空白の一日”をついて強引な入団契約を結んだ1978年(昭和53年)のいわゆる「江川事件」の時も、2004年(平成16年)のドラフト候補選手への裏金事案の時も、それを批判する報道の中には引用されてきた。
ライバル球団のファンとしては決して自分たちが応援するチームがジャイアンツに負けてほしくはないが、あえて正力オーナーのもうひとつの遺訓を現在の讀賣ジャイアンツに贈りたい。「巨人軍は常に強くあれ」。そしてそれを叩くのがドラゴンズであるならば言うことはない。

【東西南北論説風(52) by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

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