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誕生から75年。民放ラジオ立ち上げの苦労とは?

誕生から75年。民放ラジオ立ち上げの苦労とは?

9月1日は民放ラジオ放送開始記念日。1951年(昭和26年)9月1日、日本で初めての民間放送として午前6時30分に名古屋の中部日本放送(現・CBCラジオ)が、正午に大阪の新日本放送(現・MBSラジオ)が、それぞれ本放送を開始しました。今年9月1日に放送された『つボイノリオの聞けば聞くほど』は、開局75周年を記念して、第1スタジオ(1959年築)で公開生放送を実施しました。ここでは、民放第一声となるCBCラジオの誕生について番組で触れたエピソードを取り上げます。

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「民間放送」が伝わらない

放送開始のおよそ1年前、1950年(昭和25年)12月15日、中部日本放送株式会社が創立されます。
ラジオ事業に乗り出すきっかけとなったのは、中部日本新聞(現・中日新聞)の小嶋源作氏による呼びかけでした。

しかし戦前から当時までラジオ放送はNHKのみで、「民間放送」は未知の領域。
株式の募集にあたり事業内容を説明しても「何それ?空気を売る商売なのか?」と理解されないことも。

NHKラジオを聴くためには受信料が必要でした。
一方で民放ラジオは無料で聴けることを掲げていましたが、どうして無料で聴けるのか、疑問に感じる人たちもいたようです。

今でこそ企業が放送や配信に支払う広告料のおかげで番組が制作され、聴取・視聴が無料でできることは常識ですが、当時はその広告放送自体が前代未聞だったのです。

広告の説明に苦労

世の中に広告放送という概念が伝わっていない中、ラジオ営業は苦労の連続でした。

看板なら一度作れば取り外すまで宣伝効果があるのに、ラジオは放送されたら終わりです。
広告主側にとって形のないものにお金を出すということに抵抗があったようです。

つボイ「当時、営業の方が言われたことは、『お前らの言ってることは、風の中に札をばらまいてるようなもんや。そんなもったいないことに金は出せるか』という。そこから民間放送が始まっていったんですよ」

事業としてやっていけるのかという不安を抱えながらの出発でした。

一方で名古屋の財界には松坂屋や豊田自動織機、岡谷鋼機をはじめとして「日本初の文化事業は地元で育てるべき」と理解ある企業が集まりました。
名古屋で民間放送がいち早く立ち上がったのは、こうした結束力にありました。ちなみに株式募集が完了したのは創立総会の前日だったとか。

創立後、開局に向けて局舎や送信所の建設、スタッフの雇用や育成が進められ、1951年(昭和26年)9月1日の午前6時31分、宇井昇アナウンサーにより民放第一声が発せられました。

ラジオで生まれた人とのつながり

番組では「CBCと私」というテーマで事前に投稿を募集しました。

「今までの生活でラジオを聞く時間がこんなに増えるとは思いませんでした。名古屋に引っ越してきた2019年7月から、私の1日はラジオで始まりラジオで終わる生活になりました。
それまでは仕事中心の生活でラジオを聴くことはなく、いま自分がこんなにラジオにハマるとは思いませんでした。

引っ越してきた当時は知り合いも友人もなく、たまたまつけたCBCラジオで何やらおじちゃんが変な口調でしゃべってると主人に報告したら、『それはな、つボイノリオさんという人で、この地域では有名人だよ』と聞かされ、それから毎日聴くようになりました。

そのうち聴くだけではなく投稿してみようかという気持ちになって、初めていただいた『金太負けるなステッカー』は、『ラジオは友達だよ、負けるな!』というメッセージをもらったみたいで、今も大切に保管しています。

CBCラジオとの出会いがきっかけで、ゼロだった知り合いが何十人ものリスナーさんとお知り合いになり、あっという間に友だちがいない、寂しいと言ってられない生活になりました!
CBCラジオと出会えていなかったら、今も毎日寂しい日々を送っていたかもしれません。ラジオって本当にいいですね」(Aさん)

ハガキや封書、ファックス、メールとリスナーとの双方向の形も変わってきました。
インターネットやSNSの普及も手伝い、リスナー同士で新たなつながりが生まれるのも、現在のラジオの魅力のひとつです。
(岡本)
 

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