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ビートルズ日本公演から60年…名古屋の放送局CBCが主催するまでの舞台裏(3)

ビートルズ日本公演から60年…名古屋の放送局CBCが主催するまでの舞台裏(3)

世界的バンド「ザ・ビートルズ」が唯一の日本公演を行ってから、今年で60周年。中部日本放送(CBC)がこの「伝説の日本公演」に、なぜ関わっていたのか。CBC内で屈指のビートルズファンでもある、後藤克幸・特別解説委員が社の歴史とともに振り返る連載の第3回。

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「神聖な武道館を…」沸き立つ反対世論

ビートルズを叩き出せ!過激な言葉が躍るプラカードを掲げたデモや街宣車が気勢をあげていた。日本武道館の周辺は日増しに騒がしさを増していた。1966年春、日本武道館が、ビートルズ来日公演のコンサート会場になると発表されたからだった。
保守派の政治評論家がテレビ番組で「エレキギターをかき鳴らす長髪のやかましい連中に、神聖な武道の殿堂たる日本武道館を使わせるなど、絶対に許さん!」と言い放ち、ビートルズ排斥の世論を煽った。
教育現場でも、ビートルズの音楽に夢中になるのは非行につながるなどとして、ビートルズ来日公演の日程が発表されると、コンサート会場に行くことを禁止する学校もあったという。

ロックバンドのビートルズがなぜ、日本武道館でコンサートを行うことになったのか?

CBC東京支社からのぞむ日本武道館

日本の民間放送第1号として名古屋で誕生し、1951年に民放第一声を発したCBC・中部日本放送は、放送開始15周年を迎えた1966年、かねてから信頼関係の深い音楽プロモーターから、世界のスーパースター、ザ・ビートルズの来日公演を主催しないかとの提案を受け、実現に向けて奔走していた。

最大の難題は、会場探しだった。ビートルズ側から、「1万人近く入れる場所を確保し、1人当たりのチケット料金が高額にならないようにしてほしい。若い人たちに多く来場してほしいから」という強い要望が出されていた。当時、東京にある音楽ホールや劇場で1万人の観客が入れるところは皆無だった。ただ、一か所だけ、音楽ホールではないが、1万人以上の観客が入れる日本最大級の屋内施設があった。1664年の東京オリンピックに合わせて竣工した日本武道館。日本の武道の殿堂と呼ばれていた。

CBC事業部の幹部は、日本武道館を管理している読売新聞の首脳をたずねて頭を下げてお願いをした。この時、読売新聞が武道館の使用を許可すると共に、読売新聞が共同主催者として名を連ね、ビートルズ来日公演の成功に向けてCBCと協力し合うパートナーとなることが決まった。共同主催者として、ビートルズの来日公演を混乱なく安全に開催する対策について両社は議論を重ねた。そして、ビートルズの武道館公演に反対する声に対しては、決定打となる情報発信によって、世論の鎮静化を目指すことに・・・。

ビートルズは「国家的音楽使節」

ビートルズは、来日する前年の1965年、英国王室エリザベス女王から大英帝国勲章を授与されていた。当時のイギリスにとって、ビートルズの音楽は重要な輸出産品として外貨獲得に多大な貢献をしたことが高く評価されてのことだった。この事実が、ビートルズ来日公演を成功に導く明るいイメージの世論に光をあてる重要な鍵となった。

ビートルズ来日が目前に迫った1966年6月初旬、読売新聞に「ザ・ビートルズ日本公演について」と題する社告が掲載された。
ビートルズは、イギリスのエリザベス女王から勲章を受けたグループであり、イギリスの「国家的音楽使節」として来日して日本のファンのために初めてのコンサートを行うことになったと強調。武道館がコンサート会場に決まった理由についても言及し、世界的な人気と国際親善の視点から1万人以上の観客が入いることが可能で警備上も万全を期すことのできる会場は、日本武道館以外にないと判断したと説明。さらに「イギリス本国からも強い要請を受けた」ので、武道館の使用を諸般の事情を検討して許可したとし、社会の理解を求める内容だった。

それを裏付けるように、ビートルズ武道館公演のために製作されたパンフレットの冒頭には、主催者のCBC、読売新聞に加えて、駐日英国大使館のあいさつ文も一緒に印刷されている。

パンフレットに掲載された、駐日英国大使館 代理大使のあいさつ文

厳戒警備の中、ビートルズがやってきた!

この社告を契機に、社会にはビートルズを批判するよりビートルズの来日を待ちわびる世論が次第に盛り上がっていった。
ビートルズの来日までカウントダウンの段階に入ると、CBCと読売新聞は、共同主催者として全力を尽くし、ビートルズの来日から東京滞在中、そして出国まで、ビートルズとスタッフ、コンサートの観客、さらには周辺に詰めかけるファンの安全対策に万全の警備体制を整えることに集中した。そして・・・。 

昭和41年(1966年)7月1日付・CBC社報

6月29日午前3時44分。羽田空港にハッピ姿の世界のスーパースターが降り立った。
当時のCBC社報(1966年7月1日発行)には、こんな記事が残されている。
「台風4号で11時間も遅れ、心配されたビートルズ台風の嵐は、静かに上陸できた。警視庁は安保闘争以来の警備体制をしき、すべての手はずを整え、この日、羽田と宿舎ヒルトンホテルの沿道に6000人を大動員。」

CBCに残る「5日間の記録」

「ザ・ビートルズ公演 収支精算書」の表紙。当時の幹部の印鑑が並ぶ

ここから、日本中に熱狂の大旋風を巻き起こすビートルズの5日間が始まる。
この5日間、ビートルズはどんな時間を過ごしたのか・・・CBCが主催社として5日間の詳細な経費を記録した「ザ・ビートルズ公演 収支精算書」がCBCの社史資料室に保存されている。

例えば・・・羽田空港に降り立ったビートルズを宿舎のヒルトンホテルまで送るために使用された米国製の高級車キャデラック使用料…70,000円、記者会見・案内状・招待状印刷代…15,400円、ヒルトンホテル果物代…19,000円、武道館ビートルズ場内関係警備250名…1,016,200円・・・などなど。CBCに保存されているこの「ザ・ビートルズ公演 収支精算書」の記録を紐解くと、日本中がビートルズに熱狂した、あの5日間の実像が浮かび上がる…。

(つづく。以降、随時掲載します)

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