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ビートルズ日本公演から60年…名古屋の放送局CBCが主催するまでの舞台裏(2)

ビートルズ日本公演から60年…名古屋の放送局CBCが主催するまでの舞台裏(2)
ザ・ビートルズ日本公演 公式パンフレットより(中表紙)

世界的バンド「ザ・ビートルズ」が唯一の日本公演を行ってから、今年で60周年。中部日本放送(CBC)がこの「伝説の日本公演」に、なぜ関わっていたのか。CBC内で屈指のビートルズファンでもある、後藤克幸・特別解説委員が社の歴史とともに振り返る連載の第2回。

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【前回はこちら】ビートルズ日本公演から60年…名古屋の放送局CBCが主催するまでの舞台裏(1)

CBC開局15年目の大事業だった

ビートルズの日本公演をCBCの主催でやらないか・・・。とてつもないビッグな話だった。当時のCBC事業部の幹部と日頃から親しかった音楽プロモーターの誘いだった。

昭和41年(1966年)6月の社報。「今世紀最大の話題の旋風か ザ・ビートルズ日本初公演」

ザ・ビートルズと言えば、1962年のデビュー以来、またたく間に人気沸騰、世界各地でライブコンサートが開かれると会場には大勢のファンが詰めかけ、大歓声でステージの歌はほとんど聞えないほどになるスーパースターだった。音楽プロモーターは、ビートルズが1966年に、フィリピンでコンサートを開催するという情報をつかんでいた。イギリスから東南アジアへ来るなら、もう少し東に足を延ばして、もっと大きなマーケットである日本へ来ないかと、交渉中だった。

日本の民間放送第1号として名古屋で誕生し、1951年に民放第一声を発したCBCは、放送開始から15周年を迎えた1966年、日本中があっと驚くような大きなイベント企画を練っていた。千載一遇のチャンスとして持ち込まれたビートルズ日本招へいの企画だった。日本中に大旋風を巻き起こすことになる歴史的ビッグプロジェクトが動き出した。

名古屋のCBCに白羽の矢…なぜ?

なぜ、音楽プロモーターは、名古屋の放送局のCBCに話を持ち掛けたのか?

理由の一つは、CBC事業部が海外アーティストの招へいや来日公演に関与した、豊富な実績とノウハウだった。1963年にベルリン・ドイツ・オペラ来日公演を放送、1965年にはイタリア歌劇団「椿姫」来日公演を主催。同年、アメリカの人気歌手コニー・フランシスやミッチ・ミラー合唱団を招へいしての来日公演など、海外の名門オペラや人気歌手の日本公演を次々に成功させ、CBCは芸術文化事業の分野で一目置かれていた。

CBCが招へい・主催したコンサートのパンフレット

もう一つの理由は外貨準備だった。音楽プロモーターは当初、東京の新聞社や放送局にも声をかけたが、ビートルズに支払う多額のギャラを外貨で払う準備ができないと、しり込みしたという。当時は、現代のように円とドルの両替の手続きが容易ではなく複雑な規制があった。こうした中でCBCは、海外の名門オーケストラや人気歌手の日本公演を数多く手がけていたことから、外貨準備に十分な余裕があった。

音楽プロモーターにとっても、日頃から海外ミュージシャンの招へい事業を連携して手掛けてきたパートナーとして、CBCとの信頼関係も深かったこともあり、ビートルズの日本公演をCBCの主催でやらないか・・・と、CBCに白羽の矢を立てた。

昭和42年(1967年)の社報より。「CBCの招きで欧米の一流楽団ぞくぞく来演」

ビートルズの成功は、その後のCBCの招へい事業をさらに飛躍させる。1968年のスイス・ロマンド管弦楽団、1969年のウィーン・フィル、1970年のニューヨーク・フィルなど世界一流のオーケストラを続々と招へい。1975年のメトロポリタン歌劇場(史上初の海外引越し公演)といったクラシックの最高峰に至るまで、CBCが日本に数々の熱狂を届けていく出発点となったのである。

舞い込む要望に、浮かんだ秘策

だが、ビートルズ日本公演を実現するには、様々な難しい条件をクリアする必要があった。ビートルズのマネジャーと来日公演の契約交渉を進めていた音楽プロモーターを通して、ビートルズ側のさまざまな強い希望が伝えられていた。

まず、日本でのスケジュールについて。滞在日程は5日間。その後は、フィリピンへ向かう予定だという。主催するCBCとしては、このスケジュールは厳しいものだった。名古屋の放送局なので、当然、名古屋公演も希望したが、東京~名古屋間の移動は、この日程では不可能。警備上の問題などからも断念。東京公演のみとなった。

次に、コンサート会場について。ビートルズ側から「多くの若い人たちにライブを聴いてほしいので、会場は1万人近く入れる場所を確保し、1人当たりのチケット料金が高額にならないようにしてほしい」とのことだった。当時、日本の劇場や音楽ホールのキャパシティはせいぜい数千人規模で、1万人もの観客が入れるところなど無かった。主催者としてCBCは頭を抱えた。

ビートルズは1965年、アメリカで、ニューヨーク・メッツの本拠地・シェアスタジアムで史上初の野球場を会場としたライブコンサートを行い、5万人の観客を動員して話題となっていた。東京でも野球場でのライブはできないか?しかし、ビートルズの来日は6月下旬の予定だった。日本では梅雨の季節にあたる。当時の野球場はドーム球場ではなく、雨が降ればコンサートは中止せざるを得ない。CBCは苦慮した末、前代未聞の秘策を提案することに・・・。
 
観客1万人以上が収容でき、かつ屋内コンサート会場として成立しうる場所が一つだけあった。1964年の東京オリンピックに合わせて竣工した日本武道館。国内最大の収容人数を誇る屋内施設だった。日本の武道の殿堂と呼ばれていた。

読売新聞と共催したワケ

CBC事業部の元幹部だった大先輩に、ビートルズをCBCが招へいし日本公演を主催した経緯についてお話を伺ったことがある。大先輩は、日本武道館を管理している読売新聞の首脳をたずねて頭を下げてお願いをしたという。「1万人の観客が会場に入って一緒にコンサートを聴けるのは武道館の他にありません。どうか武道館をビートルズのコンサート会場として貸してください」と。武道の殿堂として建てられた日本武道館を音楽のコンサート会場として使うのは前代未聞のこと。ハードルはかなり高い・・・と思っていた。

CBC東京支社からのぞむ日本武道館

この大先輩の話では、読売新聞首脳は意外にも「いいよ。ビジネスとして良い話だ」と了承したという。大先輩は「読売新聞首脳はおそらく、世界的スーパースターであるビートルズの来日公演を武道館で開催することによって、“武道の殿堂”に加えて、新たに“音楽の殿堂”という付加価値が、武道館の未来に広がっていくであろうことを、鋭い経営者の直感で理解されたのではないか・・・」と話していた。

この時、ビートルズのライブ会場として武道館の使用を認める条件として、読売新聞社が共同主催者として名を連ねることも決まった。ビートルズ来日公演の会場が、1万人入場できる日本武道館に決まったことにより、チケット代金はA席でも2,100円(消費者物価指数によれば、現代の10,000円程度)。C席では1,500円と、若者に手の届く設定とできたことで、ビートルズの希望に添えた。

「認めない!」世間で巻き起こった賛否

ビートルズが日本にやってくる!来日公演決定のニュースが1966年4月に流された。
日本の多くの若者たちが、ビートルズの新曲が発売されると真っ先にレコードを買い求め、ラジオから流れるビートルズのはじけるようなエネルギッシュなビートに夢中になり、ビートルズが日本にやってくる6月を待ちわびた。

一方で、日本の武道の殿堂でロックコンサートなんて、認めない!という反対世論も炎上した。神聖な武道の殿堂である日本武道館で、長い髪を伸ばしたビートルズが騒々しいエレキギターをかき鳴らしながら声を張り上げて歌うなど絶対許さない・・・保守的な評論家の発言や、武道館周辺での街頭演説やデモも騒がしくなっていった。
そうした中、共同主催者となったCBCと読売新聞社は、ビートルズに武道館を使わせるな!という一部の意見に対して、決定打となる情報を発信し、反対世論の鎮静化を目指すことに・・・。

( つづく。随時掲載します )

CBCテレビ論説室 特別解説委員 後藤 克幸

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