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もうすぐ『豊臣兄弟!』にも登場!竹中半兵衛が稲葉山城を乗っ取った理由

もうすぐ『豊臣兄弟!』にも登場!竹中半兵衛が稲葉山城を乗っ取った理由

CBCラジオ『伝令!武将が現世でラジオを始めたようです!』は、400年の時を経て現代に蘇った名古屋にゆかりの武将たちと足軽集団・名古屋おもてなし武将隊(R)。日本の歴史を楽しく紹介する歴史バラエティ番組です。2月7日の放送では、織田信長・前田慶次・陣笠隊の足軽・踏舞の3名が出演し、竹中半兵衛による稲葉山城(のちの岐阜城)乗っ取りを話題にします。

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稲葉山城乗っ取り事件が起こった日

「この日何の日?」コーナーは、先週土曜日から今日までの1週間の日付で過去に起こった歴史上の出来事・記念日を解説。いくつかある中、話題は1564年2月6日にに起こった「竹中半兵衛による稲葉山城乗っ取り事件」について。

前田慶次「信長様が後に稲葉山城(後の岐阜城)を落とされるんじゃが、その前に斎藤龍興様の家臣である竹中半兵衛殿に乗っ取られるという事件が起こったでな」

斎藤龍興は、斎藤道三の孫です。織田信長は道三の娘・帰蝶(濃姫)を正妻に迎えていたため、龍興とも縁続きにはなるものの険悪な関係でした。

その理由は、斎藤道三・義龍親子が対立した末に道三が義龍に討ち取られていたから。その義龍は病死して、子の龍興が継ぐものの対立は続いていたのです。

少数で乗っ取ったのは諫言のためだった

少数で堅牢なことで有名だった稲葉山城を乗っ取ったことについて、信長も「非常に知略がある者よの」と褒めたたえます。

信長「実際に乗っ取ったって話を聞いてから、そのまま我が臣下に降らぬかと誘いをかけたんじゃけどな。すぐに城は(主君・斎藤龍興に)返すということで本当に返して師盲端じゃ。その裏に何があったのか、慶次よ知っておるか?」

慶次「美濃には儂、家臣を住まわせておったんで知っておるんじゃけどな。もともと稲葉山城は斎藤龍興様のものじゃったんじゃけど、竹中殿は主君に愛想を尽かしてしまう」

理由は龍興が若くして酒に溺れていたからです。城主として、主君としての務めをまともに果たさないことで、家臣の中から離反する者が出てきます。

特に斎藤家の側近であった西美濃三人衆(稲葉良通(一鉄)、安藤守就(道足)、氏家直元(卜全))に対し、龍興が「お前らはいらぬ」という旨の言葉を吐いてしまい、怒らせたのです。
この隙を突き、竹中半兵衛が少数で稲葉山城を乗っ取ったのでした。

その後の稲葉山城

織田信長も、竹中半兵衛が自分の家臣ではなかったものの「だったら舅(道三)の城だったんだからくれ」と言うも、結局龍興に返却されることに。
竹中半兵衛の目的は乗っ取りではなく、酒に溺れる龍興を戒めるためだったからです。

慶次「稲葉山城が龍興様に返却されたんじゃけど、信長様は『斎藤家の足元がぐらぐらじゃ』と思ったんじゃな。すぐに美濃を攻めて稲葉山城を奪いに行かれたということになる」

その後、稲葉山城を奪った信長が「岐阜城」と名を改めたことは有名です。

もともと稲葉山城は鎌倉時代につくられて難攻不落で知られていた城。それを機を逃さず攻略した信長の実力はさすがとしか言いようがありません。

その後斎藤家が稲葉山城を失うと、竹中半兵衛は北近江の浅井長政(信長の妹・お市の方と政略結婚した武将)の客分として東浅井郡草野に3,000貫の禄を賜るも、辞しています。
最終的に木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)の軍師・右腕として調略などに力を発揮していくことになるのです。

現在放送中の大河ドラマ『豊臣兄弟!』でも登場する予定ですが、演じるのは俳優・菅田将暉さん。どのように活躍が描かれのか、待ち遠しいところです。

ちなみに竹中半兵衛は黒田官兵衛と並び、「両兵衛」「二兵衛」と称されますが、実際の軍功には不明点もあり、真相は闇の中です。
(葉月智世)
 

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