ソプラノ歌手、下垣真希。被爆した叔父から考える平和って何?

ソプラノ歌手の下垣真希さんが、7月27日放送のCBCラジオ『小堀勝啓の新栄トークジャンボリー』に出演しました。平和と命の尊さを伝えるコンサートをライフワークとして25年続けている下垣さんに、小堀勝啓が尋ねます。
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下垣さんは愛知県立芸術大学、ケルン国立音楽大学卒業。ソプラノ歌手として国内外のオーケストラとも共演。
80年代からベルリンの壁崩壊までの激動時代には、ドイツに滞在して国際ラジオ局ではDJを務めた経歴があります。
下垣「口から先に生まれたのが幸いいたしまして(笑)、向こうでラジオのディスクジョッキーをやらせていただきました」
当時は第二次世界大戦後から始まったアメリカとソ連の冷戦時代。
ドイツはベルリンの壁で分断され、社会主義の東ドイツと資本主義の西ドイツで対立していました。
壁があった時のドイツ
肉親でも自由に行き来ができないベルリンの壁。
経済状態の悪い東から西へ壁を超えようとして、東ドイツの国境警備隊に銃殺された人も多数いました。
下垣「すごい緊張感が国中にありました。毎週末、ドイツ人のご家庭に行くと、必ず戦争についてとか、ナチスドイツの大罪について真剣に一般市民が議論しているような時代でした」
小堀「ナチスの時代を知っている人たちが普通に生活していた時代ですもんね」
ベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが統一されたのが1989年。ソ連が解体したのが1991年です。
下垣「そもそもドイツに留学した時は、戦争の影があって、冷戦時代で、よくあんな危ないところへ、のこのこと出かけて行ったなって思います」
長崎の鐘
下垣さんは平和と命の尊さを伝えるコンサートを25年続けています。
そのきっかけになったのが「長崎の鐘」という歌。
長崎医科大学(現在の長崎大学医学部)助教授だった永井隆さんが、自分の被曝した状況と、重傷を負いながら救護活動に当たった記録の題名が「長崎の鐘」。
これをモチーフに作られた曲が、藤山一郎さんの歌唱で大ヒットした「長崎の鐘」です。
実は下垣さんの叔父が永井さんの家に寄宿していて、長崎で被爆したそうです。
被爆者の最期
下垣さんの叔父は酷い状態で故郷の島根県に戻ると、当時14歳の叔母が叔父の看病に当たったそうです。
その叔母は、叔父がどんな最期を迎えたかを長い間語ることができなかったとか。
下垣「酷い現場を見た人たちは語れないんですよ。その惨状たるや私たちの想像を絶するものだったんですよね」
下垣さんが「長崎の鐘」を収録したファーストCDを持参すると、戦後56年経って、初めて語ってくれたそうです。
下垣「叔母の語った、叔父の悲惨な最期っていうのは私の心に『何をチャラチャラ生きとるんや』という、楔を打ち付けられたような気分でしたね」
小堀「お返しに、残った我々が伝え続けなければいけないってことですもんね」
下垣アレンジ
永井さんとの縁もあり、下垣さんはこどもの頃から「平和を」という永井さん自筆の書を眺めながら育ったそうです。また永井さんの平和への思いを知っていったとか。
下垣「永井先生がすごいのは、ひと言も恨みを言わず、みんな間違いを犯す弱い人間だから自分のことのように愛そうと伝え続けたことです」
下垣さんの歌う「長崎の鐘」は藤山さんの物とは別アレンジ。
クリスチャンであった永井さんの思いも込めて、パイプオルガンやシューベルトの「アヴェ・マリア」を間に挟んでいるそうです。
平和は当たり前じゃない
下垣「多くの人たちの無念の下に私たちがいる。平和っていう当たり前じゃない世界を生きてるんだってことを、この歌を歌う度に噛みしめます」
小堀「有名な言葉に『戦争に行かない奴が戦争を始める』というのがあります。ぜひ、この機会に平和について考えてみたいと思います」
ソプラノ歌手、下垣真希さんのライフワークになっている平和のコンサートは、8月に大阪、東京、名古屋で開催されます。
(尾関)
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