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「この世界ではやっていけん」川上憲伸、東大選手に被弾!明大デビュー戦の衝撃

「この世界ではやっていけん」川上憲伸、東大選手に被弾!明大デビュー戦の衝撃

CBCラジオ『ドラ魂キング』、「川上憲伸、挑戦のキセキ」は、野球解説者の川上憲伸さんが、自身のプロ野球人生を「挑戦」という視点から振り返るコーナーです。6月18日の放送から、「東京六大学野球編」がスタート。1994年に明治大学野球部に入部した川上さんが、厳しい上下関係の中で迎えた1年生春のデビュー戦で、まさかの東大選手に一発を浴びた衝撃的なエピソードを語ります。聞き手は宮部和裕アナウンサーです。

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「完全におっさんの集まり」

徳島から上京し、初めてのひとり暮らしを始めた川上さん。明治大学野球部の第一印象について「完全におっさんの集まりみたいな感じでした」と振り返ります。

高校では18歳の先輩が最年長で、まだ少年っぽい雰囲気があったのに対し、大学では22歳の4年生もいて、髭を生やし、落ち着いたおじさんみたいな人もいることに驚いたそうです。

最もきつかったのは上下関係と、1年生の仕事。寝る時間がないほど忙しく、「常に先輩の雰囲気を伺いながら、恐れながら野球をしていた」と当時の心境を明かしました。

朝6時半から始まる過酷な日々

1~2年生は朝6時半から掃除が始まり、朝食後すぐに朝練へ。しかし朝練の前にも、練習場の整備やライン引き、クモの巣チェックなど、細かい作業が待っていました。

川上さんの担当は「ホームからライトポールのラインを引く係」。ラインが少しでも歪んでいたり、途中で消えていたりというミスがあると、「練習後にまた大変なことになる」という緊張感の中で過ごしていました。

「野球のグラウンドで、監督とコーチがいる中で、管理されているところでプレイするのが唯一気が許せるところ。それ以外はもう怖いって感じです」

東大戦でまさかの被弾

そんな厳しい環境の中、1年生の春のリーグ戦、東京大学戦の2回戦の6回からリリーフとして六大学のマウンドに上がりました。

「嬉しかったんですよ。まずメンバーに入れたのは」と喜びを語る一方、「1年生、多分僕、ピッチャーでひとりしかいなかった」という状況で、プレッシャーも相当なものだったようです。

川上さんは、そのデビュー戦でいきなり東大の左バッターにホームランを浴びてしまいます。

「うわーと思って。東大ってやっぱり、僕がイメージしている中では、バットにすら当たらないだろうって。ホームランなんてって」

こんな先入観があっただけに、ショックは大きかったといいます。

「正直、これはこの世界でやっていけんなと思いました」と、当時の絶望感を明かしました。

後に判明した真実

今年4月の東京六大学野球100周年記念イベントで、慶応大学出身の高橋由伸さんとトークイベントに出演した川上さん。そこで意外な事実が判明します。

高橋さんから「4年生の北村さんに憲伸、打たれたよね。あれ俺、スタンドで見てて、すごく印象に残ってるんだよ」と言われたのです。

「他の人はそういう目で見てくれてたんだ。1年生でどんなピッチャーがいるんだろうって」

当時は気づかなかった同期のライバル意識を知り、「答え合わせができて良かった」と振り返りました。

悔しさがもたらした成長への決意

出鼻をくじかれた形とはいえ、大抜擢の登板でした。

この経験について、川上さんは「どの世界もやっぱり、そんなスムーズに順調には思い通りいかない」と語ります。

「1年生の野球以外の仕事も多かったですけど、もっともっと練習しなきゃっていうか。こんなままだと、もうワンチャンスで終わってしまう。もう1回チャンスの時は絶対なんとか結果出すんだって」

東大のバッターに打たれたことへの悔しさと、このままでは徳島に大きな顔をして帰れないという故郷への思いも、原動力になったといいます。

東京六大学野球時代の輝かしい成績の最初は、まさかの被ホームラン。この始まりが、後の大投手・川上憲伸を作り上げたのかもしれません。
(minto)
 

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