「3連勝しなくていい」川上憲伸が語る落合ドラゴンズの優勝哲学

8年間全てAクラス、5度の日本シリーズ出場、2007年には日本一、2010年・2011年には球団史上初のセ・リーグ連覇を果たした落合博満監督率いる中日ドラゴンズ。その成功の鍵は意外にも「守りの野球」と「現実的な積み重ね」にありました。4月23日放送のCBCラジオ『ドラ魂キング』「川上憲伸、挑戦のキセキ」のコーナーでは、当時のエース・川上憲伸さんが、落合監督の独自哲学と"配慮のある逃げ道のなくし方"で選手を導く采配術を明かしました。
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当時、川上さんはドラゴンズの打線について、セ・リーグの中でも悪くないと考えていました。しかし、実際の落合野球はそのイメージとは逆の方向性だったといいます。
落合監督が重視していたのは、「2対1の試合」や「1点差でくっついていく野球」。点を取ることよりも、いかに点を守るかに重きを置いた采配だったそうです。
たとえば、2対1でリードしている状況で、ワンアウト2塁3塁のピンチ。ここでタイムリーヒットを打たれて逆転されると、投手やチーム全体の雰囲気はガクンと落ちてしまいます。
そんな時、谷繁元信捕手や落合監督がいつも口にしていたのが、「この1点だったらなんとかなる。次の回で逆転できるかもしれない」という言葉でした。
落合監督の考え方はとてもシンプルで、「もう1点やらないように、それだけ」だったといいます。
3連勝しなくてもいい
シーズン終盤、読売ジャイアンツが1位、ドラゴンズが2位で3ゲーム差という状況。
多くの人は「3連勝して並ばなければ」と考えるところですが、落合監督の発想は意外にも「1敗はいいから」というものでした。
「3連勝しようとして初戦に負けると、ガックリきてしまう」。そんな心理を見越したうえで、「2勝1敗でいけばいい」という現実的な積み重ねを重視していたようです。
川上さんによると、落合監督は「カツカツで行くのではなく、『〇〇は許す』という隙間を作るのが上手な監督」だったといいます。
自分で決めるローテーション
川上さんは、夏を過ぎた頃から落合監督に「ローテーションは自分で決めろ」と言われるようになったそうです。
「お前が動くと、他のローテーションも全部こう動くから。まず自分で動け」と、エースである川上さんに責任感を持たせるため、当番日を自ら決めさせたというのです。
オールスター明け以降は、「巨人・阪神(タイガース)に当てていくのか、それともあえて外して、別の相手との試合に価値を見出すのか。それは自分で選びなさい」と任されたといいます。
川上さんは、「勝ちたいので、申し訳ないけど当時ちょっと弱かったのがヤクルトとか広島だったので。なるべくそういう試合が続きそうなところに」と、比較的勝てそうな相手との対戦を選ぼうとしました。
それに対して落合監督は「それでいいけど」と言いつつも、「山本昌と朝倉(健太)が、前半戦の巨人戦・阪神戦でふたりで1勝しかしてないんだ」と現実的な問題を突きつけます。
自ら決めた甲子園登板
そのうえで、落合監督はこう伝えたといいます。
「どうする?お前が広島とかヤクルト戦で行くのはいいけど、1敗でもしたら、もう夢も何もなくなるぞ」。
チームの状況を把握した川上さんは、「そうですね」と決断。そして、「じゃあ、オールスター明け初っ端のタイガース戦から行きます。甲子園で」と、自ら決断したといいます。
自分で選ばせるという形を取りつつ、結果的には「川上さんを巨人・阪神に当てていく」という采配。落合監督流の“配慮のある逃げ道のなくし方”だったとも言えます。
もちろん本当にすごいのは、その肝となる試合の中で結果を出し続けた川上さんです。
応援にも“隙間”を
安藤渚七は「ファン目線では全試合勝ちたいと思う気持ちも、もちろんあるんですけど。でも、あの落合監督が言っていたというのと、そういう隙間を持ちながら、ちょっと余裕も持ちながら、大好きなドラゴンズを応援していくっていう、なんか新しい視点ができた」と感想を述べました。
そして宮部和裕アナウンサーがこう締めくくります。「3連敗さえしなければ、十分に貯金して優勝を狙える位置にいける。その軸がエース川上憲伸だということです」。
川上さんの挑戦は、まだまだ続きます。
(minto)
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