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ありがとう!ミスタープロ野球・長嶋茂雄 語り継がれるドラゴンズとの深い縁

ありがとう!ミスタープロ野球・長嶋茂雄 語り継がれるドラゴンズとの深い縁
「サンデードラゴンズ」より長嶋茂雄選手(C)CBCテレビ

【ドラゴンズを愛して半世紀!竹内茂喜の『野球のドテ煮』】CBCテレビ「サンデードラゴンズ」(毎週日曜日12時54分から東海エリアで生放送)

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昭和の太陽、逝く

1983年10月から42年もの間、ドラゴンズ徹底応援番組として放送してきたCBCテレビ『サンデードラゴンズ』。しかしドラゴンズしか扱わない番組ポリシーだとしても冒頭で哀悼の意を表さずにはいられなかった。

昭和の太陽であり、日本においてプロ野球を国民的スポーツへと牽引した立役者。“ミスタープロ野球”こと長嶋茂雄さんが6月3日早朝、東京都内の病院で亡くなった。享年89歳。

ドラゴンズが大好きだろうが、タイガースを心底惚れ込んでいようが、プロ野球ファンのみならず皆、長嶋さんが好きだった。そして愛していた。まさに日本プロ野球界、いや日本の宝という存在だった。亡くなった当日、日本メディアはこぞって死を悼み、またアメリカでもメジャーリーグや野球殿堂博物館公式サイトでも日本のミスターベースボールが亡くなったと報じた。

銭湯やプールに行けば、競うように狙ったのが“3番”のロッカー。極私的だが、私自身も小学校一年の時、父親にせがんで作ってもらったユニホームはジャイアンツの背番号3。誰もが長嶋さんに憧れ、プロ野球選手になりたかった昭和の時代を駆け抜けた、まさにスーパースターの存在であった。

長嶋さんに打たれたら仕方ないわ

「サンデードラゴンズ」より長嶋茂雄選手と木俣達彦捕手(C)CBCテレビ

ジャイアンツの選手、そして監督として輝かしい実績を残し、誰からも愛され続けたミスター。長嶋さんの“太陽の光”を受けて、ドラゴンズもまた輝きをみせた。長嶋さんと一緒の場でプレーしたい、長嶋さんと勝負したい、そんな希望にあふれた若竜が何人いたことだろうか。ドラゴンズの正捕手として活躍、マサカリ打法で名を馳せた木俣達彦さんもそのひとり。当時の思い出を振り返った。

「サンデードラゴンズ」より木俣達彦氏(C)CBCテレビ

木俣氏「長嶋さんに打たれたら、“仕方ないわ”という感じでしたね。とにかくここという時によく打たれました」

長嶋さんを中心に1965年からV9を達成したジャイアンツ。しかし1974年、V10を阻止したのはドラゴンズだった。長嶋さんはこの年限りで現役を引退。木俣さんは長嶋さんが引退を意識した瞬間を鮮明に覚えている。

鈴木孝政さんがプロ2年目の時に対戦。長嶋さんが大好きな真ん中高めのホームランボールを三振した時だった。

木俣氏「長嶋さんがね、ボクに向かって“この坊主は何年目だ?”と言うので、“高校を出て2年目です”と言ったら、“すごいピッチャーが出てきたなぁ。オレもボチボチ…”と言って打席を離れた。それで結局その年で辞められたんです」

過去にサンドラへ出演したことも

「サンデードラゴンズ」より長嶋茂雄監督胴上げ(10.8決戦)(C)CBCテレビ

監督になってからはなんといっても1994年10月8日。最終戦で勝利を収めたチームがリーグ優勝という世紀の一戦。高木守道(「高」は「はしごだか」)監督率いるドラゴンズはジャイアンツに敗れ、リーグ優勝を逃した。それから2年後の1996年。ナゴヤ球場最後の年でもあったこの年は首位と最大11.5ゲームをひっくり返し、流行語にもなった“メークドラマ”となる逆転優勝。この時の対戦相手もまたドラゴンズという奇妙な縁を感じたものであった。

選手、監督としてドラゴンズとの縁が深かった長嶋さん。実はサンデードラゴンズへの出演オファーにも快く応じ、ドラゴンズ戦でバットを持たずに打席に入ったエピソードも現役当時を楽しむかのように話したのは記憶に新しい。

長嶋氏「4打席とも敬遠されました。故意に敬遠でね。またあの時(1968年)はなぜか対中日戦になると調子が上がって来て、そこで敬遠されるからファンの皆さんが“勝負しろ!”と騒いでね。その時、ボクの唯一の手は大変生意気だったんですが、バットを持たずに打席で構えたんですよ」

バットを持っていなければ打てるはずがない。それでもドラゴンズのピッチャーはボール球を投げ、敬遠したという。今の時代では考えられぬ牧歌的な話だ。

当時、番組の中では長嶋さんが立教大学在籍時に指導した縁を持つ高木守道さんについても触れていた。

長嶋氏「相手のチームとはあまり私語を交わしちゃいけないとかね、色々な制約がありまして。(会話する)機会はなかったのですが、心の中ではね、“高木選手がんばれよ!”“次の打席また打てよ!”と陰ながら応援していましたよ」

「サンデードラゴンズ」より長嶋茂雄監督(10.8決戦)(C)CBCテレビ

それを横で聞いていた高木さんは憧れの長嶋さんからの言葉に終始ニコニコ。長嶋さんの持つ“人徳”に惚れ込んでいる様子に見えたものだった。今から思えば、世紀の10.8決戦も“相手が長嶋さんだったら勝てんわ”と思っていたのでは?と勘ぐってしまうくらい、長嶋さんに心酔いたのではないか。ただ高木さんだけではなく、それほど敵チームの誰もが長嶋シンパばかりだったことを付け加えておこう。

日本プロ野球隆盛の礎を築く

長嶋さんがプロ野球に与えた影響はあまりにも大きい。野球というスポーツを“国技”にし、長嶋さんに憧れ、野球を始めたプロ野球選手は数えきれないほど存在しよう。日本プロ野球隆盛の礎を築き、球界に素晴らしい遺伝子を残した“ミスターベースボール”。

それをまさに代弁したのが井上一樹監督。

「サンデードラゴンズ」より井上一樹監督(C)CBCテレビ

井上監督「今、一番言っておかなければいけないことは、この日本球界がこうやって盛り上がって、お客さんがいっぱい入ってくれる形を毎日続けられるというのは長嶋さんが土台をしっかり作ってくれたから。これからもさらに盛り上げていけるように精進したいと思います」

きっと今頃天国プロ野球リーグでは長嶋さんを大歓迎していることだろう。待ち受けるは金やんこと金田正一さんに違いない。長嶋さんがプロ入りデビュー戦で4打席4三振という苦杯を味わった400勝投手。

“今度は負けませんよー!”

と、特徴でもあった甲高い声でにこやかにバッターボックスに入る長嶋さんの姿が目に浮かびそうだ。

天国でも記憶に残る名選手であり続けて欲しい。そしていつまでも野球界の太陽として輝き続けてくれることを願うばかりである。

合掌。

竹内 茂喜

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