CBC web | 中部日本放送株式会社 / CBCテレビ / CBCラジオ

MENU

「阪神・淡路大震災」から30年。防災意識の進化と残る避難所の課題

「阪神・淡路大震災」から30年。防災意識の進化と残る避難所の課題

1995年1月17日5時46分、淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生し、死者6,434人という、当時、戦後最悪の極めて深刻な被害をもたらした「阪神・淡路大震災」。1月16日の『CBCラジオ #プラス!』では、CBC論説室の石塚元章特別解説委員が、震災の教訓と30年経った今なお残る避難所運営などの課題について解説しました。

関連リンク

この記事をradiko(ラジコ)で聴く

混乱極める被災地の実態

淡路島北部の震源から北の神戸方面へ走る活断層のずれにより発生した阪神・淡路大震災。
当時、東海地方でも震度4を記録しました。

この震災を通じて、都市部の地下にも活断層が存在すること、また日本全土に数多くの活断層が存在することが広く認識されることとなりました。

神戸市内を上空からヘリコプターで撮影した映像には、高速道路の横転、家屋やビルの倒壊、各所での火災発生という壮絶な被災状況が映し出されていました。

取材で避難所を訪れたという石塚は、「言葉では言い表せない状況だった」と当時を振り返ります。

学校の体育館が避難所として使用されたものの、教職員自身も被災者であり、運営の訓練を受けていないまま対応を迫られました。
避難所では水道が使えず、大勢の避難者が集まる中でトイレの使用が深刻な問題となっていたそうです。

震災が残した教訓と変化

阪神・淡路大震災の後も、東日本大震災、熊本地震など、大規模地震が発生しており、その教訓が防災対策に活かされてきました。
30年前の阪神・淡路大震災当時、現在のような知識や備えが十分ではありませんでした。

この震災を契機に、病院の耐震診断の義務化が実施され、震度観測点も当時の300地点から現在は4,000地点以上へと大幅に増加し、地震計測システムの精度が向上しました。

さらに「災害関連死」という概念が社会に定着しました。これは地震の直接的な被害ではなく、避難所や仮設住宅での生活によるストレスや疾病が原因で命を落とすケースを指します。
真冬の体育館での避難生活でインフルエンザが蔓延するなどし、900人以上がこの災害関連死で亡くなりました。

「ボランティア元年」から30年

阪神・淡路大震災の年は「ボランティア元年」と呼ばれ、全国から多くの人々が被災地支援に駆けつけました。

また、この震災を契機に「被災者生活再建支援法」が制定され、地震被害者への公的支援制度が確立されました。支援金は当初の100万円から現在は300万円に引き上げられ、能登半島地震を受けて600万円への増額も検討されています。

この震災は、防災体制の不備や課題を浮き彫りにすると同時に、様々な支援制度や防災対策を生み出すきっかけとなりました。

阪神・淡路大震災当時は、ボランティア活動を統括するシステムが未整備で、社会福祉協議会などによる支援体制も確立されていませんでした。

震災から30年が経過した現在、共同通信社のアンケート調査によると、ボランティア団体の6割以上が資金不足を訴え、活動経験の少ない人材の不足も指摘されています。
また、自治体との連携が不十分だとする団体も4割に上ります。

変わらぬ避難所、残る課題

避難所の課題は依然として解決されていません。
石塚は能登半島地震の避難所の状況について、阪神・淡路大震災当時と比べても「変わっていない」と指摘しています。

国際基準「スフィア基準」は、アフリカの難民キャンプでの劣悪な環境を改善するため、国際赤十字などが定めた基準です。この基準では避難者1人当たり3.5平米(2畳程度)のスペースが必要とされていますが、日本の避難所では1畳程度にとどまっています。

また、避難者のプライバシー確保のため間仕切りの設置を求めており、これは避難者の精神的負担軽減に重要な役割を果たすとされています。

トイレの設置についても20人に1基、男女比1:3という基準が定められており、日本の避難所もこの国際基準に近づけようとする動きが出ています。

このように、国際基準と比較すると、日本の避難所運営にはまだまだ多くの課題が残されています。

遺族が願う防災の備え

一方で、防災バッグの準備やローリングストック方式による備蓄など、日本人の防災意識は着実に向上しています。

17日に神戸で開催される「追悼の集い」で遺族代表を務める長谷川元気さんは、小学生の時に母親と弟を亡くしました。先日の記者会見で長谷川さんは「大切な人が突然いなくなる」という震災の現実を語り、「後悔のないよう今できる備えをやってください」と、防災への備えの重要性を訴えました。

阪神・淡路大震災から30年。この節目を、私たち一人ひとりが防災について改めて考え直すきっかけとしたいものです。
(minto)
 

この記事の画像を見る

オススメ関連コンテンツ

PAGE TOP