異例の判決!性同一性障害で「手術なし」の性別変更を認める
性同一性障害と診断され、性器の外観を変える手術をしていない当事者が、戸籍上の性別を男性から女性に変更するよう求めた差し戻し家事審判で、広島高裁が「性別変更を認める」という決定を出しました。性同一性障害特例法の要件のうち、「変更後の性器部分に似た外観を持つ」(外観要件)の規定の違憲性が争われ、裁判長は「違憲の疑いがあるといわざるを得ない」と判断したということです。7月11日放送の『CBCラジオ #プラス!』では、アディーレ弁護士事務所の正木裕美弁護士がこのニュースを解説しました。
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この記事をradiko(ラジコ)で聴く性別変更後の外性器に近しい外見
裁判所は「ホルモン療法で外性器の形状が変化することは医学的に確認されている」ことをまず指摘。
その上で、継続的にホルモン療法を受けている申立人は「身体各部に女性化が認められ、性別変更後の外性器に近しい外見を有している」と判断しました。
高裁は、外観要件を「憲法が保障する『身体への侵襲』を受けない権利を放棄して手術を受けるか」、もしくは「性別変更を断念するか」の二者択一を迫るものとして「違憲の疑い」があると指摘。
一方で、社会生活での混乱を避けるため、公衆浴場など「異性の性器を見せられない利益を保護」するために設けられているとし、規定の目的には正当性があるとしました。
性別変更の家事裁判は争う相手がいないため、今回の高等裁判所の決定はそのまま確定。
対象はこの申立人ひとりです。
求めること自体が違憲という判断
「今回の判決には、賛否両論あるとは思っています」と正木弁護士。
今回の決定では、外観要件そのものが否定されたものではなく、外観は「他人が見て特段の疑問を感じない状態であれば足りる」と解釈されました。
基本的に問題となるのは、男性が女性になる場合。
男性器が気にならないような状態になれば足りるため、手術ではなくホルモン治療でも同じような結果が得られるだろうという判断です。
一方、ホルモン治療も「ご本人の意に反した体への侵襲になる」という意味では手術と変わりません。
精神的な不安定や、その人がしない・できない理由がある中で、これを強いるということになります。
一般的には「何もしない」ことが認められるわけではないため、そもそも「このようなものを求めること自体が違憲」という判断の仕方もできたというのがひとつあります。
性別を変えるかどうかの話
公衆浴場に男性器がある方が入ってくることに対して女性側が不安や恐怖感を覚えること、
さらに性被害を懸念することが指摘されています。
しかし、今回の要件は「医学的に性同一性障害だと認められた方が性別を変えるかどうか」の話であり、性器の外観で扱いを分けるという話ではありません。
この意味においては、公衆浴場を重視して性別変更を認めず、さらにホルモン治療等々を要求することがバランスを欠いているのではないか。
女性として認めることはあっても、実際に公衆浴場の扱いを変えることは十分あり得る話です。
正木弁護士「そこまで踏み込んだ判断というのが、もしかしたらあってもよかったのではないかという見方は十分あると思っています」
手術以外の何かを強いることは適切?
改めて、性同一性障害とされている方が、ホルモン治療など、手術以外の何らかを強いるという状況が、本当に適切かどうかというのを女性として考える必要があるといいます。
正木弁護士「他の手段があるのではないか。もっと言えば、当事者の方がどう思うのか。性別が変わった後も、何らかの区別が必要な場面があるかもしれない。そうであっても、戸籍上変えたいのかどうかということは、やはり、当事者の気持ちを一番にするべきではないかなと思います」
ホルモン治療も手術も、いずれもお金がかかります。
『中日新聞』では、ホルモン治療は続けているものの、手術は体や費用の負担を考えて受けていないというトランスジェンダーの方を取り上げています。
性的少数者というだけで就職もままならず、身内からの協力も得られないため、治療代や手術費用を工面するのが非常に難しい面もあります。
権利の制限はミスリード
女性用トイレや公衆浴場の利用を巡る懸念が根強い中で、これを悪用する人が出てきた場合、トランスジェンダーの方が厳しい目にさらされる可能性もあります。
正木弁護士「そういう風に利用されるということを第一に彼らの権利を制限すること自体がそもそもミスリード。
彼らが就職や仕事の場でいろいろな場で、自分の気持ちに合った性別の扱いを受けるという話をしているのであって、そういうことを悪用するしないはもう今の時代でも起きるし、性別を変える要件があるなしに関わらず起きる可能性はあるので、そこを重視をして、彼らの権利を制限することがそもそもミスリードではないか、ということは考えなければいけないと思います」
これが「普通」ということを認めていく社会にならないとおかしい、というところまで来ています。
(minto)