学生卓球経験から感嘆するパリ五輪の銅メダル早田ひな、その試練と究極の強さ
パリ五輪の熱戦が続く中、卓球女子シングルス3位決定戦の早田ひな選手の戦い、そして涙の銅メダルには、かつて卓球に打ち込んだ立場としても心から感動した。利き腕を負傷するということは、手首を使う卓球競技にとって“致命的”だからである。
つかんだ日本女子エースの座
今回の大会で初めての五輪代表になった早田選手は24歳。同い年のライバルには、3年前の東京五輪で3つのメダルを取った伊藤美誠選手、東京に続いて今回も代表入りした平野美宇選手がいる。早田選手は、東京五輪の代表に選ばれず、リザーブ選手として、この2人の後塵を拝してきた。しかし、そこからの頑張りによって、今大会では女子卓球のエースとして、パリの地を踏んだ。
棄権さえ考える手の異変
目標は「五輪出場」ではなく「金メダル」と語っていた早田選手にとって、準々決勝終盤でラケットを持つ左腕に異変が生じたことは、まさに信じられないハプニングだった。その試合は前半のリードを保って勝ち抜いた。だが、サポーターをして臨んだ準決勝は、世界ランキング1位の中国のエースに1セットも奪えず、0対4でストレート負けした。試合後、握手の後に、相手から手の状態について気遣われるなど、左腕は明らかに異常をきたしていた。卓球において、手首から肘までの間を痛めることは、棄権も考えなくてはならない重いけがなのである。
卓球という競技の負担
筆者も中学校から大学まで10年間、卓球部に所属して、白球を打ち続けた。早田選手とはレベルが違うが、それぞれの時代に、選手として地方大会に出場した。拙い経験なのだが、卓球という競技のデリケートさを伝えるため、自らのことを書く。大学4年で迎えた東海学生卓球春季リーグ直前のことだった。利き腕の右手首に痛みを覚えた。医師の診断は「腱鞘炎」、無理をすると将来、手が動きにくくなる後遺症の怖れもあると言われた。卓球のボールは軽いのだが、打たれた球のスピードは速く重く、それを受け止めて打ち返す手首などへの負担は大きい。その影響が長年の間に蓄積したのだった。
フォアハンドでの勝負へ
サポーターをきつく巻いて練習を続け、そして試合にも臨んだ。しかし、身体の回転を使って打つフォアハンドはともかく、手首を返してのバックハンドがうまくいかない。それがとてもまどろっこしい。自分の手が自分でコントロールできないのである。さらに、手首の奥底が時おり疼く。今回の3位決定戦で、早田選手も手に負担の少ないフォアハンド中心の攻撃に切り替えていた。思いきり手を使うバックハンドが思うにまかせない状態での、苦肉の策だったと推察する。それだけ、卓球における手の自由度は“生命線”なのである。
執念の投げ上げサーブ
手の痛みはバックハンドだけではなく、変化をつけるサーブにも大きく影響する。ところが、早田選手は試合で、ボールを高く投げてから打つ“投げ上げサーブ”を使っていた。ここが勝負どころだと見ると、そのサーブを連発した。これには驚いた。ドライヤーさえも左手で持つことができなかったと試合後に明かした痛みの中、ミスをすることがなく正確に“投げ上げサーブ”を打つことができた。ゲーム前の治療、そして、左腕へのテーピングもうまくフィットしたのだろう。チームの勝利でもある。
勝利の瞬間、涙の理由
それにしても、オリンピックという大舞台で、これだけの痛みを抱えながらも、それを見事にコントロールして3位決定戦を勝ち切ったことは、本当に素晴らしい。サービスエースによって勝利を決めた瞬間、早田選手はしゃがみこんで涙を流した。それだけ過酷な時間、厳しい戦いだったのである。そして、相手の韓国選手も早田選手の異変を察していたのだろう。ゲーム終了後すぐに、早田選手を祝福する姿は素晴らしかった。
「神様にこんな意地悪をされるとは思わなかった」と早田選手は語った。しかし「大事なフォアだけは残してくれた」と続けて「この銅メダルは金メダルより価値がある」と締めくくった。2024年パリ五輪、早田ひな選手の胸のメダルは、ゴールド以上の輝きを放っていた。それはとても誇らしげに。
【東西南北論説風(514) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】