「結婚式の仲人」いつから姿を消し始めたのか?変貌する男女の出会いの形

「結婚式の仲人」いつから姿を消し始めたのか?変貌する男女の出会いの形

いつのまにか、その姿を見かけなくなった。結婚披露宴で新郎新婦の横に座る「仲人(なこうど)」さん。結婚には“必需”という存在だったと疑いもしなかったが、今やそんな風景は珍しくなった。

ルーツは江戸時代の武士

そもそも「仲人」は、人と人との仲立ちをする人であり、特に結婚の仲立ちが役割だった。日本におけるルーツは、江戸時代と言われている。しかし、それは武士の世界に限られていた。たしかにテレビの時代劇などで、主人公の華燭(かしょく)の典に登場していた。明治時代に入って、政府が「家族主義」に力を入れ始め、結婚は“家と家のつながり”という意味合いが強くなった。そこに社会的な承認を与えるために、一般庶民の結婚にも「仲人」という存在が登場するようになった。よく聞いた言葉に「仲人と言えば親も同然」がある。それだけ、重要な役割を担っていた。

恋愛結婚にも「仲人」

CBCテレビ:画像『写真AC』より「三々九度」

大正、そして昭和と、お見合い結婚が多かった時代、結婚する男女は、お互いにあまり顔合わせの機会がないままに結婚した。その時、両者の間に立って、経歴書や写真を手に“仲を取り持った”のが仲人だった。戦後、知り合った本人たちが自分たちで相手を決めて結婚する、恋愛結婚が増えてきても「仲人を立てる」という習慣は残った。いわゆる「頼まれ仲人」で、結婚の“形”を整えるために、欠かせない存在だった。結婚式にも出て、和式の場合は三々九度のお手伝いなどをした。続いての披露宴では、入場する新郎新婦を挟むように入場し、正面のひな壇にも一緒に座り、宴の冒頭では、新郎新婦のプロフィールや馴れ初めを、親の名前まで入れて紹介した。

職場の上司に頼む時代

CBCテレビ:画像『写真AC』より「指輪交換」

親戚の叔父叔母などが務めたりした仲人を、職場の上司に頼むようになったのは、時代の流れなのだろう。「家族主義」から「職場主義」へ、仕事を第一とする日本社会の縮図がそこに見られる。仲人を頼まれることは、その夫婦自体が“模範的な夫婦”だとも見られるため、上司も快諾した場合が多い。「生涯に三度、仲人をやることが幸せな夫婦の証し」などとも言われるようになった。ところが、そこに大きな変革の波が押し寄せて、仲人は一気に姿を消し始める。

こうして「仲人」は消えた

平成の時代に入ると、個々のプライベートを重視する風潮が加速して、結婚も個人と個人の結びつきとして、家や職場の関与が少なくなった。バブル経済が崩壊した1990年代には非正規雇用の職員も多くなり、会社への帰属意識も薄くなっていった。仲人を頼むことはもちろん、職場の上司を結婚披露宴に招かないケースも増え始めた。結婚は、仲の良い友人たちで祝うようになり、かしこまった「披露宴」ではなく、レストランウエディングなど、気楽な「パーティー」も多くなった。さらに籍を入れない「事実婚」も増えた。結婚に“社会的なお墨付き”を求めなくなったのである。こうして、江戸時代から、結婚行事には欠かせない存在だった「仲人」は、時代の波の中に姿を消そうとしている。

新時代の「仲人」それは?

CBCテレビ:画像『写真AC』より「マッチングアプリ」

ところで、そんな「仲人」に替わる存在が登場してきたのをご存知だろうか。それは「マッチングアプリ」である。スマートフォンによってアプリを利用し、自分の好みや趣味などを登録すると、AIなどが自分にあった候補を紹介してくれる。“スマホが仲人”の時代と言えるかもしれない。かつてはお見合い結婚が主流だったが、そこに恋愛結婚が加わり、今また、スマホを使っての新しいお見合い結婚のスタイルが増え始めてきたようだ。

「結婚式の仲人」には、人と人との絆、結びつきを大切に思う日本の伝統があった。別々の道を歩んできた2人が、結婚という形で一緒に人生を歩む、その演出スタイルは変化していったとしても、そこにある“心”は、記憶遺産のアルバムにしっかりと保存しておきたい。
          
【東西南北論説風(459)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※『北辻利寿のニッポン記憶遺産』
昭和、平成、令和と時代が移りゆく中で、姿を消したもの、数が少なくなったもの、形を変えたもの、でも、心に留めておきたいものを、独自の視点で「ニッポン記憶遺産」として紹介するコラムです。
CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー(毎週水曜日)でもご紹介しています。

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