「トイレットペーパー」究極の開発史~二重、香り、保湿、そして来客用も登場!
海外で生まれ、日本で大きな進化を遂げた数々の品、そのトップクラスに入ってくるものが「トイレットペーパー」だろう。開発技術、アイデア、そして、細やかな気配りなど、その歴史を辿ると、戦後ニッポンの生活文化の一面も見えてくる。
米国生まれのトイレ紙
トイレットペーパーは、ロール式のトイレ用の紙である。19世紀半ば、1857年(安政4年)に米国で生まれた。日本はまだ江戸時代だった。最初は、痔の患者のために作られた巻き取り型のペーパーで、医療用品だったという。その後、一般に広がっていった。日本には、明治時代に持ち込まれたが、洋館やホテルなど、外国人が出入りする場所のトイレだけで使われていたようだ。
ちり紙からの変遷
日本では、伝統的にトイレ(便所)では、「ちり紙」という、1枚ずつ平らに重ねてある紙を使っていた。公衆トイレで用をたす時は、各自がそれを持ち込んで、手持ちの紙を使っていた。しかし、トイレットペーパーは、トイレの個室の壁に備えつけられていて、いつでも誰でも、自由に使うことができる便利さがあった。このため、公衆トイレを中心に広まっていった。戦後、水洗式トイレが増え始め、さらに、和式に替わって、家庭にも洋式トイレが普及していくと、トイレットペーパーも一気に普及していく。1960年代になると、国内の製紙会社も、国産のトイレットペーパーを製造するようになった。
ダブルのペーパー登場
トイレットペーパーの日本における大進化の歩みが始まった。まず、1枚だった紙が2枚に、すなわち「二重」のものが登場した。従来のシングルに加えて、二枚重ね、いわゆる「ダブル」のトイレットペーパーである。トイレットペーパーには再生紙が使われることが多いため、紙の繊維はどうしても弱い。破れにくくするため、また、ふき取りやすくするため、「二重」という工夫がなされた。
長巻タイプに芯なしタイプ
さらに、長巻のタイプが登場した。ペーパーがなくなって交換する手間をできるだけ少なくするように、80メートルの1.5倍巻き、120メートルの2倍巻きという、十分な長さのある商品がお目見えした。トイレの使用回数が増える、家族の人数が多い家庭では重宝された。カットしやすいように、ミシン目も入った。さらに、ボール紙の芯をなくしたトイレットペーパーも登場した。とことん最後まで使用できて、ゴミを減らすという環境面に配慮した一品である。
花柄、香水そして保湿
国産のトイレットペーパーには、発売まもない頃から、白色だけでなく淡いピンク色などのカラー商品もあったが、1970年代になると、柄などがプリントされた商品も作られた。中でも「花柄」は人気だった。柄に続いて、トイレの臭いを少しでも気にならないように、香りのついた商品も登場した。肌が敏感な人のためには、ソフトタッチの柔らかいもの、さらに、ベビーオイルなど“保湿”成分が入ったものも開発されるなど、トイレの空間をより快適に過ごせるように、次々とアイデアが生まれた。
洗浄便座の専用も登場
家庭のトイレに温水洗浄便座が登場すると、「通常のトイレットペーパーだと、濡れて破れやすい」「お尻に紙がくっついて不快」などの声が出始めた。そこで開発されたのは「厚手で破れにくい」「2~3倍の早さで水分を吸収する」という“温水洗浄便座”専用のトイレットペーパーだった。トイレで「お尻を洗う」習慣が広がった日本ならではの商品である。
来客用トイレットペーパー
家を訪れるお客様用に、通常の再生紙ではなく、1ランク上の上質紙を使ったトイレットペーパーも誕生した。薄いベージュ色で、レース風の柄、肌触りも優しい。来客前に、普段使いのペーパーと交換しておくという、いかにも“おもてなし文化”の国らしい“究極のトイレットペーパー”と言えよう。こうして、暮らしの必需品と言えるトイレットペーパーは、ニッポンのアイデアと技術によって、世界でもめざましい成長を遂げた。
「トイレットペーパーはじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが“心配りというニッポンならではの紙”によって、しっかりとロールされている。
【東西南北論説風(456) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。