米国で出会った電気カミソリに魅せられた!国産「シェーバー」夢の開発物語
当時、世の男性たちは、あっと驚いたことだろう。電動のシェーバー、いわゆる「電気カミソリ」は、1950年(昭和25年)に、ドイツのブラウン社によって発売された。それまで、髭を剃る道具は剃刀(かみそり)、石けんを泡立てて肌につけて、それと共に刃を肌の上に滑らせた。水も、泡も要らない電動シェーバーは、画期的な発明だった。
そんな新たな発明品と海外で出合い、それに魅せられた日本人がいた。“経営の神様”として知られる松下幸之助さんの後を受けて、松下電工(現・パナソニック)の社長に就いた丹羽正治(にわ・まさはる)さんである。1954年(昭和29年)に、米国を視察中だった丹羽さんは、初めてシェーバーを手にした。「電気で動く、こんなカミソリは見たことがない」。使われているバイブレータや小型モーターには、まさに自らの会社の技術が活かせると思った丹羽さんは、即断した。
「日本でもシェーバーを作る」
帰国後すぐに、社内に開発プロジェクトを立ち上げた。やがて「カミソリ事業部」として独立していく。
しかし、当時は社内にも、この「電気カミソリ」の存在を知る社員はほとんどいなかった。海外からの情報を頼りに、手探りのスタートだった。カミソリの刃を動かすための技術はあったものの、問題は肝心の「刃」だった。電機メーカーだけに、それを作った経験もなければ、金型も存在しなかった。そこで、刃物メーカーの協力を得て、厚い鉄板を加工して、32ミリのスリット刃を作り上げた。開発を始めてわずか1年後の1955年(昭和30年)に、国産初のシェーバー「MS10」が誕生した。値段は2450円、当時としては高額だったが、月間1万台を売り上げるヒット商品となった。それだけ「電気カミソリ」は、日本でも男性たちに受け入れられたのだった。
先行する外国製のシェーバーに対抗するためには、剃り味を高めることが必要だった。そこで、刃を安全カミソリで使われているステンレス製に替えた。さらに、肌にあたる剃り部分を円形にして、髭が入る穴を中央から渦を巻くように配置した。この「スピンネット」は、1974年(昭和49年)に発売されて大ヒットした。続いて、世界で初めての“水で洗うことができる”シェーバーを発表。これによって、石けんの泡も使って髭を剃ることができるため、根強い「安全カミソリ派」の人たちも、シェーバーの魅力を認めることになった。
日本人の肌は、欧米人に比べて敏感だったことから、深剃りの負担や肌のヒリヒリ感が残った。同時に、髭を剃るのに時間がかかるという課題もあった。そのため、開発チームは「刃」にこだわった。刃の枚数を増やし、それぞれが独立して違う方向に動くことで、肌へのタッチも柔らかくなり、顎の下などの剃り残しも少なくなった。同時に、この「刃」を速く動かすことにも挑戦した。それまでの回転式モーターでは、毎分1万回が限界だったが、そこで目をつけたのが、当時JRグループが開発していたリニアモーターカーの仕組みだった。リニアモーターによって、回転ではない縦方向に「刃」を動かす。毎分1万2000回のストロークをめざした。1995年(平成7年)世界初の「リニアモーターシェーバー」を発売。剃り時間は一気に短くなった。
国産シェーバーの進化は続く。2002年(平成14年)には、世界市場を見すえた新たな商品「ラムダッシュ」を発表した。「ラムダ(刃)」と「ダッシュ(鋭さ)」を組み合わせた自信のブランド。刃の枚数も、2007年には4枚刃、2011年には5枚刃、そして、最新の「ラムダッシュ」は、実に6枚刃と増えていった。毎分のストローク数は1万4000回となり、世界最高値を記録した。電機メーカーのリーダーが、渡航先で偶然に出合った“電気カミソリ”は、日本の卓越した開発技術とアイデアによって、先駆者だった海外の国を越える高みに到達し、今なお進化を続けている。
「シェーバーはじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが、今日も“極上のカミソリ刃によって”剃り残しなくスッキリと刻まれている。
【東西南北論説風(426) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。