東西「ベルリンの壁」崩壊から30年・民主化への限りなき「影踏み」は今
「影踏みするよ」「影を踏まれたらダメだよ」
小春日和の午後、名古屋の東山動植物園近くの交差点で、小学生らしい子どもたち3人の声を聞いた。信号待ちのわずかな時間に遊ぼうとしているようだ。通りがかりの散歩の足をふと止めた。「影踏み」という言葉に懐かしさがよみがえる。
影踏みと「ベルリンの壁崩壊」
自分の幼い頃にも、こんな鬼ごっこ遊びをした。一般的に「影踏み鬼」と呼ばれるこの遊びは影を踏まれた側が新しい鬼となって「追いかける側」にまわるのだが、我々独自のルールは影を踏まれると「仲間になる」ことだったように記憶する。「鬼を交代する」よりも「仲間を増やす」。
そんなことを思い出していると、ちょうどその日、遠く離れたヨーロッパのドイツでは東西ベルリンの壁が崩壊して30年という節目を迎えていたことに気がついた。子供時代の独自ルールを当てはめるならば、第二次大戦後の“影”を踏んで「民主化」という仲間に変えていく、そんな動きを加速させる「ベルリンの壁」の崩壊だった。
東西の壁が崩壊した衝撃
「ベルリンの壁」は、第2次世界大戦後の1961年に作られた。敗戦国となったドイツは米英仏ソの4か国の占領下に置かれたが、米英仏の“西”とソ連の“東”に国は分断された。ベルリン市内も2つに分けられ、西ベルリンの町を取り囲む形で築かれたのが「ベルリンの壁」である。
長さ150キロ余りのこの壁は、“東西分断の象徴”となった。コンクリートそして有刺鉄線を張られた壁は、それを越えようとした多数の人が命を落とすなど、悲劇の舞台にもなり、小説や映画でも紹介された。
頑強だったその壁が破られたのは、28年後の1989年、11月9日のことだった。ポーランド、ハンガリー、そしてチェコスロバキアなど東欧諸国で広がりつつあった民主化運動は、東ドイツから逃げ出す人々の数を圧倒的に増やした。そのうねりをもはや止めることができず、東ドイツ政府は出国を認めざるをなくなった。こうして「ベルリンの壁」は崩壊する。壁の上に立ってハンマーなどで壊す若者たちの映像は世界を駆け巡った。
東西冷戦の終結、そして・・・
壁が崩壊した後、世界史のページは一気に動き始めた。
1か月もたたない1989年12月初め、アメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長は、地中海に浮かぶマルタ島で会談し「東西冷戦の終結」という歴史的な宣言をする。翌1990年には東西ドイツが統一された。
一方で改革には多くの血も流れた。ルーマニアでは独裁政権だったチャウシェスク大統領が、民主化の波に飲み込まれる形で、処刑という衝撃的な形で去っていった。ユーゴスラビアではスロベニアやクロアチアなどが相次いで独立する中、セルビア人、クロアチア人そしてイスラム教徒がモザイクのように暮らすボスニア・ヘルツェゴビナでは紛争が勃発した。海外特派員当時、この紛争を現地で取材しながら、多民族国家の悲哀を目の当たりにした。
しかし同時に、そこで出会った人たちには、時代の歯車を動かすのだという「熱さ」が感じられた。苦しい中にも「希望」が感じられた。それが歴史に対する自分たちの“使命”であるかのように。
分断の潮流が渦を巻く
「ポスト冷戦」と言われ、世界には新しい国際秩序が誕生すると誰もが信じていた時代。
しかし、壁の崩壊から30年たった今、それはどうなったのだろうか。統一されたドイツは経済の低迷が続き、現在のメルケル首相も2021年の任期満了での退任を発表するなど政治の混乱が続く。
“強きヨーロッパ”をめざして壁崩壊から4年後の1993年に誕生したEU(欧州連合)は、盟主イギリスの離脱問題などに大きく揺れている。そしてトランプ政権の米国。「アメリカ・ファースト」と叫ぶリーダーの下、メキシコ国境に壁を作り、中国とは貿易をめぐって対立し、ソ連を引き継いだロシアとも、そしてヨーロッパとも対立を深めている。
世界には「自国ファースト」を口にするリーダーが増えつつある。明らかにかつての東西ベルリンどころではない、もっと大きな分断が進みつつある。
「新たな壁」ができる世界
ベルリンの壁崩壊から30年を迎えた記念式典に、米国の首脳は出席しなかった。同じヨーロッパのイギリスやフランスの首脳も同様だった。かつての東欧諸国から一部の首脳が参加したのみだった。
20周年式典の際には米国オバマ大統領のビデオメッセージが披露された他、米国はヒラリー・クリントン国務長官、ロシアはメドベージェフ大統領など各国首脳がずらりと顔を揃えていた。あれから10年。明らかに世界の各地には“新たな壁”ができつつある。30年前の「熱さ」と「希望」は薄まり、そして壁に封じ込められようとしているかのようだ。
「影踏み」の「影」はまさにその名の通り“暗い影”として世界に広がり始めている。それを踏んだ人は鬼の役を交代するどころか、一緒になってそこに吸い込まれていってしまうような、そんな寒気さえもふと覚えてしまう小春日和の午後だった。