大島洋平2000安打の快挙に拍手、勝利で“演出”できない立浪竜の現状にため息
大島洋平選手、2000安打おめでとう!2年連続の最下位に低迷する中日ドラゴンズにとって、唯一、シーズンのハイライトとも言える感動場面が、ついに訪れた。2023年8月26日、満員のバンテリンドームで記録は達成された。いかにも大島選手らしい、センター前へのクリーンヒットだった。
稀代のヒットメーカー
そのバットからは、面白いように安打が飛び出す。打てないボールはないのではないだろうか、そんな印象である。「世にもまれなこと」を表す「稀代(きたい)」という言葉があるが、大島洋平こそ「稀代のヒットメーカー」だろう。
身長176センチ、どちらかといえばスマートで華奢な体型の大島選手だが、そのバットコントロールを支えるものは、たゆまぬトレーニングである。以前に大島選手と会話した時に「体幹を鍛える」というテーマに行き着いた。胴体の芯を強くすることは、ほとんどのスポーツにとって、まさに“根幹”である。
そして、大島選手が実践しているトレーニングは、パワーヒッター並みの強烈な内容だったことに驚いた記憶がある。日頃のたゆまぬ鍛錬の中で、ヒットが量産されてきた。
竜球団史に残る“最速”
ドラゴンズ選手の2000安打達成は、1978年(昭和53年)の高木守道さん(「高」は「はしごだか」)以来、7人目と位置づけられている。谷沢健一さん、立浪和義さん、谷繁元信さん、和田一浩さん、そして、荒木雅博さんに次いでの歴史なのだが、達成までの試合数1787という早さは群を抜いている。
次に早かったのは、谷沢さんの1835試合目だから、いかに順調にヒットを打ち続けてきたかの“証し”である。大学から社会人を経てプロ入りした選手としては4人目の達成だが、そこでも最速を記録した。多くの後輩選手たちにとっても、大きな励ましとなることだろう。
お立ち台が見たかった
2000安打達成に心からの拍手を送りながらも、本来ならば、私たちファン以上に、それを盛り上げなければならないチームの“演出”は残念だった。記録達成の試合に勝利できなかったことによって、大島選手のお立ち台でのヒーローインタビューを見ることはかなわなかった。
さらに、2000本へのカウントダウンが始まってからの日々。残り4安打となった神宮球場3連戦の初戦、大島選手はベンチスタートだった。背中の張りが理由だったので、これはやむを得ないとも言えるが、「できれば本拠地で達成させたい」という立浪和義監督の言葉が、竜党の心に突き刺さっていた。もし、優勝争いをしているチームだったらば、おそらく欠場はなかったはずだ。
関東と関西の竜党の嘆き
続く京セラドーム大阪では、第2戦でスタメンを外れた。敵地での5試合、大島選手のペースならば、そこでの4安打は可能だったであろう。熱心なドラゴンズファンは、関東にも関西にもいて、普段は目の前でのゲームが少ないこともあって、本拠地の名古屋以上に、その応援は熱い。今回、駆けつけたスタンドで肩透かしとなった同輩ファンの気持ちは、察するに余りある。
もし、ベンチ采配のどこかに「本拠地で打たせたい」という思いが交錯していたのならば、それは違う。「2000安打は通過点」という大島選手だからこそ、当たり前のように試合に出て、当たり前のように達成することこそ大切なはずである。
日本全国どこの球場であっても・・・。“日程調整”など不要、“普段通り”こそが大島選手には似合う。
記録の陰で寂しいゲーム
2000安打への試合の中、もうひとつ、どうしても触れておかなければならないのは、大島選手が最初の打席で1999本目を打った、8月25日の横浜DeNAベイスターズ戦である。記録達成を待ちながら観戦し続けたファンの前に突きつけられたのは「18失点」という惨状だった。
9回表に登板した近藤廉投手は、育成出身の3年目、24歳。打者16人、打たれたヒット8本、四死球5つ、そして、10失点。すでに大島選手は交代してグラウンドにはいなかったが、多くのファンは祈る思いで、3つ目のアウトを待ち続けた。
10点を取られるまで、なぜ投手を替えなかったのか?失点を止めることをしなかった時点で、勝利を諦めたことになる。
星野仙一監督だったら?
試合後に、立浪監督は「勝ちパターンの投手しか残っていなかったため」と語ったが、ある意味で、残酷な言葉である。この日に1軍に上がってきたばかりの近藤投手、即「勝ちパターンの投手」となるほど、もちろん甘くはないのだが、誰もが「負けパターンの投手」にはなりたくない。
さらに残念だったのは、翌日すぐに、近藤投手が登録抹消されたこと。わずか24時間の1軍滞在。できれば、早い時点で、同じ1軍のマウンドで“リベンジ”のチャンスを与えてほしかった。「かつての星野仙一監督だったらば、次の試合に先発させているはず」竜党仲間にひとりは、こう語って“闘将”を懐かしんでいた。
最後まで「闘う竜」の姿を!
宇佐見真吾選手の、月間3本目となるサヨナラヒットで、ひとまず連敗は止まった。しかし、大島選手の2000安打という“大イベント”が終わり、シーズンも残り30試合を切った。
この2年間、まだ「これが立浪野球」というスタンダードを見せてもらっていない。明日へ、来季へ、そして、将来へ、ぜひ「闘う竜」の姿を見せてほしい。手元にあるバンテリンドームの購入チケットを握りしめながら、祈るような気持ちで9月を迎えようとしている。
【CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『屈辱と萌芽 立浪和義の143試合』(東京ニュース通信社刊)『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲 愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。