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米国から優勝奪還の使者・大塚晶文~ドラゴンズ立浪新政権コーチ列伝(4)

米国から優勝奪還の使者・大塚晶文~ドラゴンズ立浪新政権コーチ列伝(4)

立浪ドラゴンズの秋季キャンプが始まった。11年ぶりペナント奪還へ、3代目「ミスター・ドラゴンズ」立浪和義新監督が選んだ指導者たち、現役時代にも竜を支えた魅力的な顔ぶれが揃った。そんなコーチたちの横顔を、ファンから見た思い出を中心に紹介する。
第4回は、1軍投手コーチを担当する大塚晶文(あきのり)さん。

ドラゴンズでの現役は1年だけ

わずか1シーズンだった。大塚晶文投手が、現役としてドラゴンズブルーのユニホームを着た日々である。近鉄バファローズ(後にオリックス・ブルーウェーブと合流し、現在はオリックス・バファローズ)の“抑えの切り札”として活躍、1998年(平成10年)には35セーブを挙げて、最優秀救援投手のタイトルも手にしている。そんな“パ・リーグの守護神”がドラゴンズに移籍してきたのは、メジャー入りを目指していた大塚投手の契約がうまくいかなかったことが理由だった。バファローズに残留することが難しくなった大塚投手は、シーズン開幕直前に金銭トレードでドラゴンズに入団した。

米メジャー挑戦を後押し

ドラゴンズという球団は、時に意外なほどの“懐の深さ”を見せる時がある。球団創設85周年を迎えた伝統なのかチーム体質なのか。立浪政権で打撃コーチを担当する中村紀洋選手もそうであったし、最近では2018年に松坂大輔選手にも手を差し伸べて、復活へのバックアップをした。大塚投手も1年後にはポスティングによってサンディエゴ・パドレスへ旅立つのだが、それを分かった上での獲得だった。大塚投手は2003年シーズン、ドラゴンズで背番号「64」をつけ、それまでクローザーを担当していたエディ・ギャラード投手に代わって活躍、51試合に登板して、1勝3敗17セーブ、防御率2.09という好成績を置き土産として、太平洋を渡った。

「竜の1軍で投手コーチをやりたい」

大塚さんとドラゴンズの糸はつながっていた。メジャーでも1年目に34ホールドを記録するなどリリーフとして活躍。現役引退後、2015年の谷繁元信監督時代に2軍の投手コーチに就任した。当時、大塚さんとは度々話す機会があった。とても涼し気で優しい目をした大塚さんだが、その言葉は熱い。メジャー希望の自分を“在籍期間限定”と分かった上で獲得し、米国へ送り出してくれたドラゴンズへの感謝を繰り返し語っていた姿が印象的だった。その時から大塚さんはこう言っていた。
「いつかドラゴンズの1軍で投手コーチをやりたい」

大塚コーチへ、そして選手たちへ

「サンデードラゴンズ」(C)CBCテレビ

2017年からは派遣コーチとして、そしてその後は国際渉外担当として、ドラゴンズ球団は監督が交代しても、大塚さんをずっとアメリカの地に置き続けてきた。今回の立浪政権誕生で、大塚さんは“呼び戻されて”念願の1軍投手コーチに就く。12球団トップとも言えるドラゴンズ投手陣を、他球団の手が届かない高みにまで導いてほしい。大塚さんの心に燃え盛る炎が、目に見えるようだ。。
そしてドラゴンズの選手たち。メジャー野球を知り尽くした大塚晶文コーチから、豊富な知識と投球の極意を学び、他球団がうらやむ「投手王国」を来季も続けてほしい。
                                    

【CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

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