サヨナラ勝ちが見たい!虎の大山逆転ホームランに羨望のドラゴンズファン
バット一閃、見事な逆転サヨナラホームランだった。阪神タイガースの大山悠輔選手が甲子園球場で放った劇弾は、讀賣ジャイアンツを抜いて再び首位に立つ一発だった。その勢いで翌日も6点差を追いついた。やはりサヨナラゲームはチームに勢いを与える。虎党の興奮が甲子園の夜空から届きそうだ。(成績は2021年9月7日現在)
サヨナラ勝ちなきドラゴンズ
2021シーズン、中日ドラゴンズは一度もサヨナラ勝ちがない。記憶に新しいのは1年前、2020年7月10日、新型コロナウイルス感染防止のため続いていた無観客試合が明けた初戦、広島東洋カープ相手の延長10回に、ダヤン・ビシエド選手が放ったサヨナラホームランだ。ナゴヤドーム(現バンテリンドーム)は興奮のるつぼだった。もう1つのサヨナラ勝ちは秋風吹く10月15日、タイガース相手に高橋周平選手もサヨナラ弾を打った。すべてホームランで決めてほしいと贅沢を言うわけではないが、サヨナラ勝ちの記憶、その余韻はファンの心に残る。ドラゴンズ85年の歴史には、数多くのサヨナラゲームがあり、ファンのひとりとして球場または実況中継で度々“目撃者”となってきた。
高木守道の劇的サヨナラ弾
王貞治と長嶋茂雄というスター選手を擁したジャイアンツの10連覇を阻止して、20年ぶりのリーグ優勝を果たした1974年(昭和49年)6月28日、中日球場(現ナゴヤ球場)でのタイガース戦。2点リードされた9回裏2死1,2塁で打席には“モリミチ”高木守道選手が立った。1番打者リードオフマンの印象が強いが、実はプロで236本のホームランを打っている“強打者”。モリミチのバットが振り抜かれ、打球はレフトスタンドに飛び込み、一瞬静寂だった球場は大歓声に包まれた。サヨナラ逆転3ラン。ホームインした高木選手の笑顔に、「今年は優勝も夢ではないのでは?」と予感した。ドラゴンズはこの後6連勝をして、打倒巨人の道をひた走る。
江川攻略!大島康徳の熱打
その1974年に“一発長打の大島クン”として活躍した大島康徳選手も忘れえぬサヨナラゲームをファンにプレゼントしてくれた。「何をしてくるかわからない」豪快なゲーム運びが売り物だった“野武士野球”。近藤貞雄監督2年目の1982年(昭和57年)9月28日ナゴヤ球場でのジャイアンツ戦。このサヨナラゲームは今もファンにとっては大切な“思い出の宝物”である。相手の絶対エース江川卓投手を相手に4点差で迎えた9回裏に一気に同点に追いついた。それだけでも感動ものだが、竜の猛攻は止まらなかった。続く延長10回に江川投手をマウンドから引きずり下ろし、最後は大島選手がサヨナラヒット。その大島さんはがんとの闘いの末、2021年6月に亡くなった。別れの夏だからこそ、大島さんの一打が瞼に浮かぶ。このサヨナラ勝ちで優勝マジックが出たドラゴンズは、リーグ優勝へと一気に駆け上がった。
落合博満の「これぞ4番!」弾
もうひとつのサヨナラゲームは、4番のホームランで決着した。1989年(平成元年)8月12日ナゴヤ球場、これもジャイアンツ戦だった。相手の斎藤雅樹投手は9回1死までノーヒットノーランのピッチング。敗色濃厚のゲームだったが、その後の初ヒットを足がかりに1点を返す。2点差の打席に立ったのは、不動の4番打者・落合博満選手。右中間に逆転サヨナラ3ランを打つ。まさに相手のエースを打ち砕いた一打だった。その弾道の美しかったこと。このジャイアンツ3連戦は3連勝、竜党にとっては、まさに“真夏の夜の夢”だった。この思い出話だけで、何度美味しい一献を傾けたことか。サヨナラ勝ちはファンを盛り上げ、チームを勢いづかせる“力強き特効薬”なのだろう。
勝ち切れない竜とファンの諦め
タイガース大山選手がサヨナラホームランを打った同じ日、友人夫妻がバンテリンドームに観戦に行った。試合開始時に届いたメールでそれを知った。柳裕也投手の粘投で前半は1対0でリードしていたドラゴンズは、6回に同点に追いつかれ、7回にホームランによって逆転された。“ため息を届ける”返信をしたら、すでに同点になった時点でドームを後にしたと言う。その友人いわく「勝てる気がしなかったから」。
チケットを手に応援に駆けつけた長年のファン、この言葉をベンチも選手もそして球団フロントも、どうか重く受け止めてほしい。
翌日9月5日に行われた木下雄介さんの追悼試合、急逝した木下さんの背番号「98」を背負い、別れの涙と共に戦ったドラゴンズ選手の姿には、気迫と気概が溢れていた。こういう戦いをしていれば今季初のサヨナラゲームも近いはずだ。本拠地での残り試合は16、最終回までファンをくぎ付けにする熱い戦いを見せてほしい。
【CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】