感謝いっぱいの再出発。元ドラゴンズ阿知羅拓馬さんが語る、第二の人生と夢
とにかく、仲間に愛された人気者だったこと。
とにかく、雨雲にも愛され、雨男は、先発登板が多々順延になったこと。
昨シーズンをもって現役を引退し、新年すでに再出発しているドラゴンズ阿知羅拓馬元投手の印象だ。
阿知羅さんは昨秋、戦力外通告を受けた際、トライアウトを受験するイメージはなく、それよりもいつも身近で、体のコンディションに応じてケアをしてくださった人たちの姿が浮かんだという。
同時に、プロ野球生活7年間に悔いはなく、「むしろ気持ちは、楽です」とさえ語る。四六時中、野球オンリーだったプレッシャーからの解放感は、半分は本音なのだろう。だからこそ、次の人生へのスタートが早い。
「昨年は、コロナ禍で開幕が2か月半遅かった分、次への準備は早めにと。9月ごろから、このまま一軍に呼ばれなければクビだと、自分なりに覚悟していました。でも、一昨年のシーズンは、一年間ほんとに、楽しかったです」
阿知羅さんは振り返る。
「プロで一勝できたこと、お立ち台で珍しい苗字を自己紹介できたこと。それよりも、こんなボクをゴールデンウィークの連戦で使ってくださったことが嬉しかった。その後の一軍帯同も。交流戦、ライオンズ山賊打線にボコられたこと。福岡で、初回に3発ホームランされても3失点で済んだこと。全ては、一軍で先発できたからこそ」
ぶち当たれなかった、プロ一軍の壁
2019年、必死の思いで再び掴んだ一軍先発切符、よく雨で流された。大垣日大高時代の思い出の地、岐阜長良川球場での先発チャンスも雨中止に。そんな時、次の先発がいつかも定まらず、その機会があるのかも分からない中、コンディションとテンションを整えてくださったトレーナーさん達の顔が、いつも浮かぶのは、そのためだ。
「ただ、」
と、阿知羅さん本人は続ける。
「ボクは、本当のプロの一軍の壁には、ぶち当たってはいないのです」と。
「一昨年の経験も、ブレイクした!という意味での一軍ではないので。ドラゴンズに入団してすぐは、ストライクすら入らなくて、フォームも訳わかんなくなって、スピードが140キロも出なくなった時期もありました。3年目でようやく一軍初登板はできましたが、なかなか好調が続かない。ただ、今年は沖縄キャンプからめちゃくちゃ自分に期待できました。なのに、10代の子と比べても、ああ。。となってしまって」
だからこそ、そんな時でも寄り添ってくれた裏方さんの気持ちが分かるのだ。
「コーチ、先輩方にも可愛がっていただきました。与田監督に阿波野さん、現在はオリックスの高山さん、門倉さんには長身が似ていることもあり、もっとフォームを大きくと、夕暮れ過ぎても教わりました。そして、あのWBC守護神の大塚さんには、オフにゴルフ練習場へ連れて行ってもらったのに、入口前の駐車場で投球フォームの立ち話になり、その場で1時間もシャドーピッチング指導。ボクなんかに、なぜ付きっきりでしてくださったのか。じゃあ今度は、自分が選手に寄り添える仕事がしたいんです」
笑顔で語る、第二の人生と夢
そのプロキャリアを経ての第二の人生。それはまず、専門学校へ通い、柔道整復師の資格を取得すること。これから先の30年以上の人生、何か資格をもって自分の経験を活かしたい。
だからこそ、ユニフォームを脱ぎ、すぐに向かったのは、入学説明会だった。10校以上から資料を取り寄せ、5校もの説明会へ。その中で、自分と学校の熱意が重なったのが、セムイ学園東海医療科学専門学校だ。そこで資格を得て、プロ選手に限らず体のケアを経験し、やがては開業したい。第二の夢が広がる。
「でも、もう一つ、あるんです」
と笑顔で語る阿知羅さん。
「去年まで、ボクも処置台でケアを受けている時、黙々とされるより、喋りながらが好きだったんです。元来、人とのコミュニケーションが大好きで」
持ち前の対話力を活かし、専門学校入学より先に、飲食店で働き、お客さんと語らうという夢を実現させているのだ。名古屋の今池で、伊藤準規元投手の父親が長年手掛ける人気店「とり日和」のフロアに立っている。
コロナ禍が続く中、置かれた状況は厳しいかもしれない。しかし、そんなことも持ち前の明るさで乗り切ってくれそうな魅力が、阿知羅さんにはある。笑顔あふれる飲食店、施術院。その時を心待ちにして。燃えよ!ドラゴンズ!!
【CBCアナウンサー 宮部和裕 CBCラジオ「ドラ魂キング」水曜(午後4時放送)他、ドラゴンズ戦・ボクシング・ラグビーなどテレビ・ラジオのスポーツ中継担当。生粋の元少年ドラゴンズ会員。山本昌ノーヒットノーランや石川昂弥プロ初打席初ヒット実況に巡り合う強運。早大アナウンス研究会仕込の体当たりで、6度目の優勝ビール掛け中継を願う。】