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ドラゴンズこの半世紀のキーパーソン!それは “燃える男” “闘将” 星野仙一

ドラゴンズこの半世紀のキーパーソン!それは “燃える男” “闘将” 星野仙一

新型コロナウイルスの影響でシーズン開幕が待たれる中、球団創設84年目を迎えた中日ドラゴンズの1970年代から現在までの歳月を、年代別に論説コラムのシリーズでふり返る機会があった。あらためて俯瞰的に見ると、この半世紀の球団史を語る上で、外すことができないひとりの人物が浮かび上がってきた。
現役時代は“燃える男”、監督時代は“闘将”と呼ばれた故・星野仙一である。(敬称略)

ロッテとの縁を手繰り寄せたエース星野

与那嶺要監督に率いられて、宿敵・讀賣ジャイアンツの10連覇を阻止して20年ぶりのリーグ優勝を果たした1974年、日本シリーズの相手は金田正一監督率いるロッテ・オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)だった。第1戦をチームリーダーだった高木守道のサヨナラ2ベースで勝つと、第3戦も谷沢健一の活躍で勝利。勝ち星先行で日本一に近づきながらも、第4戦で高木の骨折という不幸なアクシデントもあり、結果は2勝4敗で金田ロッテに敗れたのだった。日本シリーズではリリーフ役だったが、この年のシーズン15勝9敗10セーブと、先発に抑えにと大車輪の活躍だったのが背番号「20」エース星野仙一だった。沢村賞も受賞している。ロッテというチームとの頂上決戦を実現した主役のひとりが星野だった。この「星野仙一」と「ロッテ・オリオンズ」という因縁が、すでにこの年に芽吹いていた。

落合獲得から将来の“黄金時代”へ

引退後、野球解説者として活躍していた星野がドラゴンズの監督に就任したのは1986年シーズンオフ。39歳の青年監督だった。そして球史に残る大型トレードを断行した。相手はロッテ・オリオンズだった。三冠王を3度取った稀代のスラッガー落合博満の獲得である。こうして落合はドラゴンズとの縁を結んだ。星野新監督による、このトレードがなかったら、その17年後の2003年シーズンオフに“落合ドラゴンズ監督”は誕生しなかったであろう、ほぼ100%近い確率において。
当時、讀賣ジャイアンツが落合獲得に動き出した時に、ファンの人気も高かったリリーフエース牛島和彦ら4選手を見返りにしてまでも落合を獲得した星野。この時に将来“落合ドラゴンズ監督”が実現するとは、星野自身も予想だにしなかったであろう。これもほぼ100%近い確率において。
やがて落合は監督としてリーグ優勝4回、クライマックスシリーズからの日本一1回という、竜の“黄金時代”を築く。その間の2010年に、リーグ優勝そして日本一という“完全優勝”を阻んだのも千葉ロッテマリーンズだったという因縁も印象深い。

中心選手はほとんど星野の目利き

星野がドラフトで獲得した選手たちの顔ぶれは壮観だ。
監督として初仕事だった1986年秋のドラフト会議では、5球団が競合した左腕投手・近藤真一を抽選で引き当てた。この年の2位指名は後に両リーグでホームラン王になった山崎武司。翌1987年ドラフトでは、これも抽選に勝って立浪和義を獲得した。その後も今中慎二、大豊泰昭、与田剛、井上一樹、荒木雅博、森野雅彦、川上憲伸、井端弘和、福留孝介、岩瀬仁紀ら、チームの根幹を成していく選手たちを続々とドラゴンズ入りさせていった。
さらに星野が監督として卓越していたのは、こうした若手に“晴れ舞台”を用意してデビューさせたことだ。18歳の近藤真一がジャイアンツを相手に達成したプロ入り初先発ノーヒットノーランが代表例だが、立浪は高卒ルーキーとしてリーグ29年ぶりの開幕スタメン、与田も森田幸一も岩瀬もシーズン開幕戦でいきなりリリーフ登板させるなど、その“見せ場”の演出は当の選手はもちろん、多くの竜党を歓喜させた。ドラゴンズファンの胸を躍らせてくれる名采配だった。

与田ドラゴンズ“生みの親”

そして現在2020年のドラゴンズを率いているのが与田剛である。1989年ドラフト会議で“トルネード投法”野茂英雄に8球団の指名が集中する中、星野監督は与田投手を“一本釣り”した。この指名がなければ、現在の“与田ドラゴンズ監督”はいないはずだ。
与田が監督に就任した年の初め、2018年1月に星野はすでに鬼籍に入ってしまったが、もし生きていたのなら、きっと満面の笑みで新監督の晴れ姿を嬉しがったことだろう。
その与田の前任監督だった森繁和は、落合が監督時代に自らの参謀として求めた人材だった。星野-落合-森、そして星野-与田、ドラゴンズ監督の連鎖は味わい深くつながっている。星野が獲得した選手の中から、将来次なる連鎖が続いていくかもしれない。

星野は色紙に「夢」と書くことが多かった。ドラゴンズ監督退任直後の阪神タイガース監督就任という、ドラゴンズファンにとっては納得できないショッキングな出来事もあったが、選手としても、そして監督としても、星野はドラゴンズの球団史に沢山の「夢」を演出してくれた。
ドラゴンズのこの半世紀を語る時、「星野仙一」の名前は欠かせない。まぎれもなく球団史におけるキーパーソンであることは歴史が証言している。

【CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲  愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。

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