ビートルズ日本公演から60年…名古屋の放送局CBCが主催するまでの舞台裏(4)
世界的バンド「ザ・ビートルズ」が唯一の日本公演を行ってから、今年で60周年。中部日本放送(CBC)がこの「伝説の日本公演」に、なぜ関わっていたのか。CBC内で屈指のビートルズファンでもある、後藤克幸・特別解説委員が社の歴史とともに振り返る連載の第4回。
名古屋で印刷された「プログラム」
羽田空港に到着した日航機のタラップから降りてくるハッピ姿のビートルズ。
マスコミのカメラがいっせいにフラッシュをたく。
1966年6月29日午前3時44分。この時、撮影したばかりの写真のフィルムを大急ぎで名古屋へ運ぶため、空港ロビーを猛ダッシュで走り去る人物がいた。名古屋の印刷会社「栄印刷」のスタッフだった。
ビートルズを日本に招へいし来日公演を主催したCBCが、歴史的イベントの詳細な経費を記録した「ザ・ビートルズ公演収支精算書」がCBCの社史資料室に保存されている。
この記録を見ると、「栄印刷」がCBCから重要な仕事を任されていたことがわかる。
◆ポスター、チラシ印刷代<栄印刷払>=2,500,000円、◆プログラム印刷代<栄印刷払>=1,298,000円。

公演は翌日!徹夜で東京へ…
「栄印刷」は、名古屋の老舗デパート「松坂屋」の子会社として設立された印刷会社だった。松坂屋の歴史を紹介する「松坂屋史料室」のホームページに、『松坂屋ヒストリア小話』と題して、ビートルズ来日公演のプログラム製作に関わった当時の涙ぐましいエピソードが書かれている。
「日本中が熱狂したビートルズの来日公演プログラムを製作したのは名古屋の印刷会社『栄印刷』だった。同社は、松坂屋が自社の包装紙を印刷するため昭和22年に設立された、松坂屋グループの子会社であった。ビートルズの日本公演はCBCにより実現したが、主催者であるCBCはコンサート会場で販売する『ザ・ビートルズ日本公演プログラム』と、そのプログラムに挿入するピンナップポスターの2つの製作を栄印刷に発注した。

しかしながら、その印刷スケジュールは熾烈を極めるものであった。全36頁のプログラムは5日間で印刷、製本。ピンナップポスターに至っては、6月29日に来日したビートルズが飛行機から降りてくるところを撮影し即日製版、印刷し、翌日の公演に間に合わせるというものであった。栄印刷の工場は名古屋市の栄にあったため、羽田で写真を撮り、徹夜で名古屋へ持ってきて、製版、印刷し、また徹夜で、公演会場の東京へ運ぶという綱渡りだった・・・」(松坂屋史料室ホームページ『松坂屋ヒストリア小話・54』より)

信頼関係で実現した熾烈スケジュール
東京で行われるビートルズの公演プログラムが、なぜ名古屋で印刷されたのか?
その理由は、公演を主催したCBCと「栄印刷」の間に築かれていた、強固な信頼関係があったからだ。CBCにとって、同じ栄地区にある「栄印刷」は、日頃からCBCの社報やポスター、パンフレットなどの製作を発注してきた、かねてから信頼関係が深い取引先であった。

ビートルズの来日スケジュールは極めてハードで、29日の羽田到着後、その日の午後に記者会見、翌30日には日本武道館でのコンサートが開幕。6月30日、7月1日、2日の3日間で、昼の部、夜の部合わせて5回の公演…と、隙間なくぎっしりと日程が詰まっていた。この中で、コンサート会場を訪れるファンのために欠かせない重要な公演プログラムを短時間で確実に完成させるためには、写真撮影、現像、印刷、製本まで、すべてのプロセスを通して綿密に意思疎通ができる印刷会社との深い信頼関係がどうしても必要だった。
「栄印刷」の工場は、松坂屋百貨店から近い名古屋・栄の繁華街の一角。CBC本社がある新栄町から歩いて行ける近い距離だった。

60年後の2026年6月。かつて「栄印刷」の印刷工場があった栄の一角が、今年、改めて社会の脚光を浴びるニュース・スポットとなった。名古屋・栄地区再開発のビッグプロジェクトとして建設が進められてきた「ザ・ランドマーク名古屋栄」がオープン。高さ211.7メートル・地上41階・地下4階、ホテル・オフィス・映画館・商業施設を備える複合高層ビルが、「栄印刷」の工場跡地にそびえ立った。
精算書から見る「ビートルズ公演」
ハッピ姿で日航機のタラップを降りてきたビートルズ。日本到着の瞬間を撮影した写真ネガフィルムを、大至急、名古屋の印刷工場へ運ぶため「栄印刷」のスタッフが猛ダッシュで羽田空港のロビーを走りぬけていた頃、ビートルズは、CBCが用意したアメリカ製の高級車・キャデラックに乗り、早朝のハイウエイを警視庁のパトカーに誘導されて、宿泊するホテルへと向かっていた。
CBCが主催者として公演の詳細な経費を記録した「ザ・ビートルズ公演収支精算書」には、輸送・交通費および雑費として、この時の◆キャデラック使用料=70,000円、の記録があった。

ビートルズの宿舎は当時のヒルトンホテル。◆ホテル関係費用=3,003,770円との記録があり、細かな項目の中には、◆果物代=19,000円、◆弁当代・寿司=7,020円など、ビートルズが滞在中の部屋に取り寄せて食べたかもしれない?…と推察される項目も見ることができる。
しかし、宿泊したのはビートルズだけではない。宿泊料内訳をさらに詳しく見ると、◆CBC関係者 266,899円、◆読売新聞関係者=116,227円、◆協同企画関係者=399,478円、さらに◆警備関係者=622,565円とあり、警備関係者の宿泊費用が群を抜いて最も高い。ビートルズ滞在中の安全確保のために、主催者がいかに多くの労力を注いでいたかがわかる。

警備関係では、ビートルズのコンサート会場となった日本武道館周辺の厳重な警備にも多くの費用が投入されている。◆武道館警備(ガードマン)=544,500円、◆場内関係警備250名=1,016,200円、◆武道館外周アルバイト145名=582,200円…などなど。各所に多数の警備陣を配置し、安全対策に万全を期すべく周到に準備を進めていたことが、CBCの「ザ・ビートルズ公演収支精算書」から読み取れる。
(ところで、物価の上昇率のものさしとして使われる「消費者物価指数」によれば、1966年と現在の価格差は、およそ4.5倍。現在の価格に置き換えると、金額のスケールはより、迫力が出てくる)
ついに、プログラムが武道館に並んだ
すべての関係者がビートルズ来日公演の安全な運営に全力を挙げて集中する中、1966年6月30日夜7時35分、客席を埋めた1万人のファンが見つめる日本武道館で、来日公演の初回ステージが幕を開けた。オープニングは「Rock and Roll Music」。イントロなしで始まるジョンのハスキーなシャウトが武道館の広い会場に響き渡る。
会場ロビーの販売ブースには、「栄印刷」が夜を徹して名古屋で印刷し、コンサートの開幕に間に合わせて東京の日本武道館へ搬入したばかりの真新しい公演プログラムが並んでいた。

( つづく。以降、随時掲載します )




