「都をどり」洛中洛外図、そして和歌の風景

「都をどり」洛中洛外図、そして和歌の風景

京都の、今年の桜は早かった。もうすっかり青葉になっていることだろう。円山公園の枝垂れ桜は3月下旬にすでに盛りの装いだったが、6年前の平成29年(2017年)は、4月半ばでも枝垂れ桜はまだ花を残し、夜は酔客の声が響いていた。温暖化の影響もあろうが、コロナ禍も落ち着いた今年は春の訪れを急ぐかのようだった。

「新装開場した祇園甲部歌舞練場の場内」提供:CBCテレビ

その6年前から、他の会場で催されていた「都をどり」が今年はそのホームグラウンドというべき祇園甲部歌舞練場(ぎおんこうぶかぶれんじょう)で、7年ぶりに開催されている(4月30日まで)。

当初は老朽化した歌舞練場の耐震改修のためであったが、そこへコロナ禍も加わり、公演そのものが2年間休止となってしまった。今年は杮落とし(こけらおとし)公演、振付・指導の井上八千代さんはじめ、関係者の思いも殊に深いようである。

明治5年(1872年)に創始されてから150年、「都をどり」は京都の春の象徴と言ってよいであろう。夏目漱石は『虞美人草(ぐびじんそう)』のなかで「京都のものは朝夕都踊りをしてゐる。気楽なものだ」と斜に構えながら、高浜虚子(たかはま きょし)に宛てた手紙では「京の都踊」を「面白く拝見」したと記している。

「都をどりはー、ヨーイヤサー」あでやかな掛け声とともに、客席左右の花道から現れる芸舞妓たちが持つ、団扇に付けられた柳と桜の色合いを見ていると、全国各地の春はさておき、京都の春はやはり格別との感を新たにせずにはいられない。

「洛中洛外図屏風(個人蔵)」提供:CBCテレビ

「面白の花の都や」「見渡せば栁桜をこき交ぜて 都は春の錦 燦爛(さんらん)たり」能の登場人物は、東は祇園清水、西は嵯峨嵐山、社寺、そして御所、さまざまな桜の名所を謡い、数え上げる。まさに狩野永徳が描いた国宝の屏風「洛中洛外図」(米沢市上杉博物館蔵)の世界である。

西本願寺、能の猩々(しょうじょう)、祇園祭、七夕、渉成園(しょうせいえん)、祇園一力亭、八坂神社と絵はがきのような風景を次々と見せる今年の「都をどり」もまた、かつての洛中洛外図の流れにあるのだろう。京名所を案内するニンフ(精霊)のような、揃いの藍地の着物の芸舞妓たちは、あたかも洛中洛外図に置かれた金箔の雲さながらに円形の陣となり、二つの輪となり、あるいは客席を囲むように広がる。

「円山公園のしだれ桜(2023年3月25日撮影)」提供:CBCテレビ

「都をどり」で繰り広げられる風景、それは古今和歌集のこのかたの美しい言葉、和歌の世界でもある。繰り返される四季の風景、そしてそれに沿って述べられる人々の恋や思い。それは繰り返された美しい世界を讃え、永遠に続けかしという祈りでもあった。それを編んだ和歌集は、国の理想の姿そのものであり、現実の世界さえそのコンセプトに従うのではないか。「力をも入れずして天地を動かし」(古今和歌集 仮名序)、古代中世の人々はそのように考えて、和歌を尊んだ。今日でも“京都”と言われて連想するイメージは、まずこの和歌が培ったイメージの掌から出ることはないであろう。“そうだ 京都、行こう”、各地の百貨店の京都展、“京料理”というもの、小箱の干菓子でさえも。

自らを「観光都市京都で生まれ、京都で学んだ生粋の京都人」というJR東海顧問の須田寬さんは「京都のような歴史的文化(遺産)、すぐれた景観等に恵まれた地域にあってはストーリーの発信如何によって、また視点を明示することによって全域どこでも、何でも『観光資源』になり得るといっても過言ではない」と説く。

京都は、数多く描かれた洛中洛外図が示すように、すでに室町時代に観光都市としての位置を獲得していた。それは多くの和歌や物語によって重層するストーリーを与えられた“観光資源”によるものであった。戦国大名が京都をめざすメンタリティーに、こうした“観光資源”があったことは否めないと思う。

「都をどりの提灯が掛かる祇園花見小路」提供:CBCテレビ

「都をどり」の提灯が軒先に連ねられた祇園花見小路には、コロナ禍以前のように、国内はもちろん海外からの、今はまだ欧米からの旅行者が多いようだが、相当な人数の観光客が道を埋めている。7年ぶりの「都をどり」、全席完売の日も多くあるようである。

参考文献:
 「定本 漱石全集」岩波書店発行
 「祇園甲部と都をどり~あゆみと未来~」学校法人八坂女紅場学園発行
 「新・京都観光論」須田寬、永田美江子共著 交通新聞社発行
【by CBCテレビ解説委員・北島徹也】

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