アメリカで世界初の「人工心臓」を作った日本人~命の鼓動が伝える感動の発明史

アメリカで世界初の「人工心臓」を作った日本人~命の鼓動が伝える感動の発明史

心臓は、全身に血液を循環させる“ポンプ”の役割を持っている。この概念は昔からあった。ギリシア神話を書いたとされる詩人のホメーロスは、自らの詩の中に登場する神に“鉄の心臓”を与えたが、それが「人工心臓」の始まりではないかと言われている。医学の分野では、19世紀のフランスで「心臓に代わる何かで血液を送り続けることができれば、身体は生き続けることができる」と発表があった。20世紀に入ると米国で「人工心臓」の原型が登場したが、あくまでもそれは型であって、実際に使われたことはなかった。

「初期の人工心臓アクツハート」提供:テルモ株式会社

そんな「人工心臓」を作ろうと挑んだ日本人がいた。阿久津哲造さん、1922年(大正11年)に群馬県で生まれ、やがて愛知県にある名古屋大学で外科の医局員をしていた。教授から「人工心肺」の研究を命じられて、電機メーカーの技師らの協力を得て、人工心肺の動物実験に成功した。「次は人工心臓だ!」。大学院を卒業した阿久津さんは、1953年(昭和28年)に米国へ渡った。世界的に研究が進んでいた米国、オハイオ州の研究所で人工臓器部に所属した阿久津さんは「まずは心臓そっくりのものを作ろう」と開発をスタートした。粘土、石膏、金属などを使いながら、塩化ビニールを素材とする心臓の型に、チューブで空気を送り込むという「人工心臓」を作り上げた。1958年に犬に埋め込んで実験したところ、犬は1時間半、生き続けた。当時それは画期的な発明だった。「世界初の人工心臓が完成!」と全米で大きなニュースになった。阿久津さんが作った人工心臓は、その名を取って「アクツハート」と名づけられた。

日本人が開発した「アクツハート」誕生を受けて、米国では人工心臓の開発を、国家プロジェクトとして本格化させた。阿久津さんの力が認められたのだった。しかし、人体に使うためには大きな問題が残されていた。塩化ビニールでは、中で血液が固まってしまったのである。阿久津さんは新しい素材を求めて、ポリウレタンを車のタイヤメーカーから入手。さらにシリコンゴムも使うことにした。NASA(アメリカ航空宇宙局)の協力を得て、空気を送り続けるための装置も開発して、アクツハートと組み合わせた。そして1981年に人体に使う人工心臓「アクツ・モデルⅢ」が完成した。素材はポリウレタンとシリコンゴムを混合したものだった。重症心不全の男性にアクツハートを移植し、50時間以上人工心臓を動かして、心臓の移植手術を行った。血液の凝固はなく、手術は成功した。

「阿久津哲造さん」提供:テルモ株式会社

人工心臓を動かしながら病気の心臓を治療していく。現在では「補助人工心臓」として数々の心臓手術を助けているが、阿久津さんのアクツハートは、その領域も視野に入れながらの挑戦だった。この手術の成功を見届けて、阿久津さんは日本に帰国した。“人工心臓の父”と呼ばれるようになった阿久津さんは、1993年に大手医療機器メーカー「テルモ」の社長に就任した。体温計で有名なテルモは、阿久津さんをトップに迎えて、日本を代表する医療機器メーカーとしてさらなる成長を遂げていく。アクツハートから始まった「人工心臓」の開発は進み、今も世界中で多くの命を助けている。

人工心臓を開発して、米国の医学界を驚かせたひとりの日本人の情熱。「人工心臓はじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが“命の鼓動と共に”刻まれている。
          
【東西南北論説風(354)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。

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