稀代のスラッガー福留孝介、涙の引退セレモニー ドラゴンズ復帰後2年間で若竜たちへ伝えたこととは

稀代のスラッガー福留孝介、涙の引退セレモニー ドラゴンズ復帰後2年間で若竜たちへ伝えたこととは

【ドラゴンズを愛して半世紀!竹内茂喜の『野球のドテ煮』】
CBCテレビ「サンデードラゴンズ」(毎週日曜日12時54分から東海エリアで生放送)

敗戦の将、多くを語らず

「サンデードラゴンズ」より立浪和義監督©CBCテレビ

『今年、監督就任1年目としてスタートしましたが、大きく皆さんの期待を裏切る結果となりました。また選手をうまく機能させてあげることができなかったことを反省しています。秋からもう一回出直します。来年は今日のような試合が一試合でも多く、皆さんにお見せできるよう、我々選手とともに必死になって秋のキャンプを頑張ってきます』

9月25日、今季バンテリンドーム最終戦。見事宿敵ジャイアンツを下し、有終の美を飾ったドラゴンズ。ゲーム終了後には今季の反省、そして来季への抱負を語った立浪監督。その内容はまさに敗軍の将、多くを語らずであった。でもそれで良いのではないかと、スタンドで聞いていた私は感じたものだった。

就任1年目として思っていたこと、そしてやってみたかったことのどれだけを実現できたことだろうか。1年を通じての采配について、これから検証する必要はあるものの、思ってもいなかったコロナ禍やケガ等による選手の大量離脱。持ち駒が揃わない中での選手起用にさぞかし苦労が多かったに違いない。

来季はその反省も含め、この1年で養った経験を糧にした上で、強かったドラゴンズを是非とも取り戻してもらいたいと願う。もちろん戦力補強等、フロントのバックアップは万全に。最終戦、バンテリンドームをブルーに染めたドラゴンズファンのために是非この大きな課題を乗り越えて欲しいものである。

さて今週のサンドラは、今季限りで引退を表明していた福留孝介外野手の引退セレモニーを取り上げた。9月23日、バンテリンドームで行われた讀賣ジャイアンツ戦で24年間の現役生活にピリオドを打った福留選手。ドラゴンズだけでなく、間違いなく日本プロ野球界においても名を残したバットマン。日米通算2450本のヒットは努力の積み重ねで築き上げた証だ。ドラゴンズへ復帰し、たった2年の在籍だったとはいえ、チームに残した功績は計り知れない。勝利の喜びを知り尽くした福留選手が勝利に飢えたチームメイトに残したものとは一体何だったのか。それはまさに“未来の竜に贈る言葉”だった。

ボクは幸せ者です

「サンデードラゴンズ」より福留孝介選手©CBCテレビ

幼い頃に惹かれたユニホームを身にまとい、憧れた人の前で稀代のスラッガーは静かにバットを置いた。

チームメイトに支えられ、共に戦った仲間に見送られた引退試合。福留選手は真っ先に感謝の思いを告げた。

福留『自分の野球人生がスタートしたこの場所でユニホームが脱げる。ボクは本当に幸せ者です』

「サンデードラゴンズ」より福留孝介選手©CBCテレビ

小学生の時、宮崎串間キャンプで見た立浪監督に憧れ、その背中を追うようにPL学園から社会人を経て1998年ドラフト1位で中日ドラゴンズへ入団。1年目からショートのレギュラーとしてチームのリーグ優勝に貢献。当時の指揮官であった星野仙一氏はこんな言葉を残している。

星野『ありゃヘタだから、孝介は。ただ勝負強さがある。絶対3年後にはね、クリーンアップをきっちり打てる男ですよ』

その言葉は現実のものとなる。プロ4年目の2002年、外野へコンバートされ3番に定着した福留選手。転機は讀賣・松井秀喜選手との首位打者争いだった。

佐々木恭介打撃コーチの指示を仰ぎ、毎日バットを振り続けた。朝起きる時には自分の手がバットを握る形のまま。そんな日々を繰り返しながら初めて首位打者を獲得した時、プロの世界でやっていける自信を持てたと過去を振り返る。

万雷の拍手で迎えられた引退試合

「サンデードラゴンズ」より福留孝介選手©CBCテレビ

努力は嘘をつかなかった。

積み上げたヒットの数は日米通算2450本、ホームランは327本を数えた。現役最年長の45歳までプレーを続け、ファンに感動を与え続けた。そしてそのファンに支えられた24年。現役最後の時がやってきた。

引退試合日、ベンチスタートの福留選手はスタンド全体から万雷の拍手で迎えられ、9回から慣れ親しんだライトのポジションへ。野球人としての礎を築いたバンテリンドームでのプレーだけに万感の思いだったことだろう。その証に現役最後となる打席をセカンドフライに倒れ、ベンチで待つ立浪監督と抱擁した時には思わず涙があふれ出た。

ゲストコメンテーターの谷繁元信氏は山田監督から落合監督まで、強いドラゴンズを支えた良き同僚として福留選手と接していただけに思い出は尽きない。その中でも2006年のシーズンは強烈に印象に残っているという。

谷繁『春先に行われた第一回WBCには共に出場を果たし、世界一のメンバーに。そしてジャイアンツとのクライマックスシリーズで優勝を決める決勝タイムリーを放ち、私たちにとっては濃い1年でしたね』

若竜たちへ伝えたかったこと

そして引退セレモニー。舞台はプロ野球人生がスタートした場所と同じバンテリンドーム(入団当時の名称はナコヤドーム)。野球の神様も粋な計らいをしてくれるものである。

「サンデードラゴンズ」よりバンテリンドーム©CBCテレビ

福留『リーグ優勝、日本一。本当にたくさん楽しい思い出を作らせてもらいました。しかし日本一になった時に故障でその場所にいられなかった悔しさ、その気持ちもここまでプレーを続けてきた原動力だったと思います』

故障とは異なるが、スランプに陥っても、それはできない自分への課題と決めつけ、そのすべてを乗り越えてきた福留選手。まるであきらめたら終わりと言わんばかりに。

二軍落ちしても、誰よりも練習をこなし、若竜らに無言ながら野球の厳しさをプレーで教え続けた。ドラゴンズへ復帰したこの2年、伸び悩む選手たちに練習は嘘をつかない、やればやっただけ己の血となり肉となることを教授してきた福留選手。この短いながら濃縮された歳月は若竜たちにとって一生の宝物となったに違いない。

ドラゴンズを愛し、ドラゴンズに愛された男。その姿勢はしっかり次代の選手たちへ伝えられた。いつかまたきっとドラゴンズブルーのユニホームを着て、バンテリンドームへ戻ってきてくれることを切に願うばかりだ。それがどんな立場であろうとも、必ずやドラゴンズ躍進の力になってくれるはずだ。

最後に。
孝介よ、ドラゴンズに来てくれて本当にありがとう!私たちファンはいつまでも貴方を忘れない。

竹内 茂喜

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