“稀代のスラッガー”福留孝介選手が24年間のプロ野球生活にピリオド サンドラに寄せた現役&レジェンドの声
【サンドラを観られなかった全国のドラ友と共有したい番組のコト】
CBCテレビ「サンデードラゴンズ」(毎週日曜日12時54分から東海エリアで生放送)をみたコラム
このコラム(?)は「サンドラ」を観られなかった全国のドラ友に話したい! との思いから番組の内容を綴る、竜党のみなさんに向けた、竜党による、竜党のためのコラム(?)である。
9月11日の放送回で共有したいトピックスは、現役引退を発表したレジェンド福留孝介選手の特集。24年間の輝かしい軌跡を振り返るとともに、ドラゴンズでともに黄金期を支えたレジェンドや後輩がサンドラで語った惜別の声を届けたい。
ドラゴンズに感謝
9月8日に行なわれた引退会見に涙はなく、晴れやかな表情が印象的だった福留選手。「寂しさもありますけど、必ず誰しもが通る道。いずれ自分にもこの時がくることはわかっていたことなんで。いよいよ来たなと」
会見では1998年のドラフトで逆指名をして入団したドラゴンズに感謝の言葉を残していた。「(ドラゴンズで)優勝とかいろいろな経験をさせてもらった。僕が24年間(現役を)続けられたのもここが始まりなので」
転機はゴジラに競り勝った首位打者獲得
福留選手が獲得してきたタイトルを振り返るとプロ野球選手としての偉大さにあらためて気づかされる。MVP1回、首位打者2回、ベストナイン4回、ゴールデン・グラブ賞5回。ルーキーイヤーの1999年は132試合に出場をして打率2割8分4厘、16本塁打、52打点。期待に違わぬ活躍で星野ドラゴンズのリーグ優勝に貢献した。
福留選手が野球人生のターニングポイントに挙げたのはプロ4年目の2002年。三冠王を射程圏内にとらえていたジャイアンツ松井秀喜選手と首位打者のタイトルをかけた一騎打ちを制したシーズンである。
「内野手から外野手に転向して、そのシーズンが自分の中では転機だと思う。(首位打者争いは)緊張しながらやっていたと思います。そういうことはなかなか(経験)できないので、そういう意味では(良かった)。若かったというのもある」
日本を代表するスラッガーに
タイトルを獲得した福留選手は球界を代表するスラッガーの地位を築いていった。2003年には5試合連続本塁打を記録。2006年のWBC準決勝の韓国戦では劇的な決勝2ラン本塁打で日本を沸かせた。
そしてこのシーズンでは福留選手のキャリアで一番と言えるハイライトシーンがあった。2006年10月10日のジャイアンツ戦。リーグ優勝を決めた試合での決勝タイムリーだ。
「なかなかそういう場面で(打席が)回ってくることは自分の人生の中で少ないでしょうし。そういう意味ではあそこで(自分が)決められたというのはうれしかった」
2006年シーズンの福留選手は驚異の打率3割5分1厘で首位打者とMVPに輝くなど、名実ともに当時の現役最強バッターとして君臨した。その後は活躍の場をメジャーリーグや他球団に移し、日米通算2000安打、300本塁打の金字塔を打ち立てた。
「プロに入った時に2000安打という数字はなんとか達成したいと思いながらやっていました。日米通算で(2000安打を)達成できて良かった。いろんな方にアドバイスを頂いて、そのひとつひとつを理解して噛み砕きながら、ひとつひとつを続けてこられたのは良かった」
唯一の心残り
「やり残したことはない」と晴れやかに語る福留選手だが、唯一胸の中に消せない思いがある。「最初から最後まで憧れの存在であることは間違いない」と明かした立浪和義監督の下で貢献できなかったとの悔恨の念だ。
「(立浪監督から)『力になれなくて申し訳なかった』と言われたんですけど、力になれなかったのは僕なので。結果を出せなかった自分に腹が立っていましたし。本当に申し訳ないなという思い」
それでも14年ぶりに舞い戻ったドラゴンズでベテランが見せる努力と継続の姿勢は次世代を担う選手たちにとって何よりの助言となっている。福留選手を慕う後輩たちの感謝の思い、そして共に戦ったレジェンドの声がサンドラで語られた。
京田陽太選手
京田陽太選手:(福留さんは)いつも球場に1番に来てずっと走っている。そういうところを見習わないといけないと思いました。(福留選手には)タイガース時代からバッティングの指導をして頂いて、まさか同じチームでプレーできると思っていなかったので。同じチームでプレーできて本当に光栄でしたし、寂しい気持ちでいっぱいです
石川昂弥選手
石川昂弥選手:残ってバッティング練習をしているところも見ましたし。これほどの選手でも「これだけやるんだな」と思いました。ティーバッティングでもいろんなことを意識している。45歳であれだけやっているのは考えられないです。年の差はありますけど、そこに距離をつくらず何でも教えていただけますし。こっちからもいろいろ聞けるので、すごくタメになりました
鵜飼航丞選手
鵜飼航丞選手:子どもの時は本当に大ファンで、ドラゴンズと言ったら福留孝介選手という印象だったので。一緒の名前だって自慢していました。またコーチとして戻ってきてくれたら本当に嬉しいです。まだまだ教えてもらいたい事がたくさんあるので、また教えてもらえたら良いなと思っています
立浪和義監督
立浪和義監督:彼が残してきた功績というのは素晴らしいですし、今まで経験してきたことを、またいつか野球界に貢献してくれればという話はしました。本当に体が丈夫で45歳までプレーできるのは根気も技術も体力もすべていると思うんですけど、そこがあったから45歳までプレーできたと思います
片岡篤史二軍監督
片岡篤史二軍監督:あのような選手が45歳になっても前向きに練習している姿っていうのは非常に手本になって良かったと思います。長い間、第一線で頑張ってきた選手なので、本当にお疲れ様でした
谷繁元信氏
谷繁元信氏:天才型ではないと思いますね。どちらかというと努力型かな。僕にアドバイスを求めてくるんですよ。試合前に僕はジョギングをしていたんですけど、次の日から孝介も同じようにジョギングをしていた。素直にそれを取り入れてやる、そういうところが45歳までできた一つの要因だと思います。日米通算2450本以上打ったのは本当にすごい。チャンスがあればユニフォームを着て、後輩に自分の経験をいろいろ伝えていってもらいたいと思います。とにかくお疲れ様でした
岩瀬仁紀氏
岩瀬仁紀氏:やっぱり野球に対する姿勢というのは、本人の中で納得出来るまでこだわるタイプ。プロフェショナルだなと感じていました。僕からしたら孝介はスーパースター。ドラフト同期で入団したので、どこかで孝介に追いつけ追い越せという気持ちはありました。味方にいる時はすごく心強かったんですけど、敵として戦う孝介は僕は完全に見下されているような感じがして、すごく対戦しづらかったというのははっきりと覚えています。現役最後の対戦バッターが孝介だったというのは僕の野球人生において良かったなと。これまで、それだけ自分に厳しくやってきたのでゆっくりしてほしいかなというのはあります。孝介、24年間お疲れ様でした
川上憲伸氏
川上憲伸氏:福留選手は同世代の現役でプレーをしている最後の選手なのでやっぱり寂しいという思いはありました。でもすごく長い間プロ野球で活躍できたことは羨ましさもありました。
―福留選手のすごいと思った点は?
川上憲伸氏:僕は彼の高校時代から知っているんですよ。僕が大学2年生の時にアトランタオリンピックの強化メンバーでフロリダに行ったとき、彼は高校生で来ていた。そのときからバッティングはレギュラーと一緒ですごかった。風格もありましたし、性格は真面目で強気だった。プレースタイルは守備も良し、打っても良し。まったく抜け目のない選手でしたね
―2006年のときは川上憲伸さんも17勝と活躍していましたが、MVPは福留選手でした
川上憲伸氏:(MVPは)僕かなと自分では思ってドキドキしていた(笑)。それは冗談ですけど、彼がこの年にいなかったらチームの優勝は絶対に無かったと思います。チームを毎試合引っ張っていくリーダーシップがありましたね
―メジャー時代は対戦もあった
川上憲伸氏:彼がシカゴカブスにいたときですね。広いアメリカのグラウンドでホームランを打たれまして。あらためて敵にしたくなかった選手だなと。常に味方にいてほしいと思いました
―福留選手は努力型?
川上憲伸氏:そうですね、僕が見かけていたのはこっそり練習をしているんですよ。僕なんかは違う意味でこっそり練習をしていた(笑)。バッティングは不思議な練習をしていましたね。キャッチャー側から飛んできたボールをセンター方向に打つといった特殊な練習をしていました。握手をするとまるで銅像の手を握ったかのようなゴツゴツ感がありましたね
―これからの福留選手に期待することは?
川上憲伸氏:まずはゆっくりしてほしいのと、やっぱりこれからはユーチューバーとしても見たいですね!
イチ視聴者(筆者)の番組感想まとめ。 ホームランを打った後のバット投げ、最高に格好良かった!!
福留選手がドラゴンズに入団した当時、筆者は高校生。ナゴヤドームのライト席で応援歌に乗せて「コウスケ!」と声援を送っていたことが鮮明に思い出されます。福留選手といえばホームランを打った後の姿が最高に格好良かった!
綺麗なスイングから自然と手から離れたバットは弧を描き、スタンドインを確信した福留選手はゆっくりと走り出す。これぞスラッガーの所作と言えるのではないでしょうか。鵜飼選手も熱望するように筆者は一日も早く「コーチ・福留孝介」の誕生を期待しています。それでは本コラムの最後は福留選手がドラゴンズファンに向けたメッセージで締めくくります。
「ドラゴンズを好きな方々がたくさんいて、そういう中で僕自身も野球選手として大きく(成長)させてもらいました。本当に温かく見守っていただいたのでファンの方々には感謝の一言で、本当にありがとうございました」(ドラゴンズ福留孝介選手)
(このコラムを書いたのは・・・サンドラ視聴歴約30年のアラフォー竜党)