金田正一さん逝く~ドラゴンズファンから捧げる追悼の言葉~

金田正一さん逝く~ドラゴンズファンから捧げる追悼の言葉~

それは10月最初の日曜の夜だった。訃報に接した時に、その人と中日ドラゴンズとの不思議な縁が走馬灯のように回転し始めるのを感じた。季節はもう秋なのに。
金田正一さん、享年86。日本プロ野球で歴代最多となる400勝を達成した投手である。ドラゴンズの本拠地である愛知県出身という以上に、その面影は竜党にとっても鮮やかだ。ある時はライバル球団の投手として、またある時は手強い敵将として、ドラゴンズの球団史のページに度々登場した人だった。

竜の日本一の夢を打ち砕いた金田監督

「監督・金田正一」の姿が真っ先に思い浮かんだ。
1974年(昭和49年)。その年、ドラゴンズは長嶋茂雄や王貞治ら稀代のスーパースター選手を擁する讀賣ジャイアンツの10連覇を阻止して、日本シリーズに進出した。そこに立ちはだかったのが、前年からロッテ・オリオンズを率いた金田正一監督だった。
エース村田兆治や木樽正明、そして監督の実弟である金田留広らの投手陣、切り込み隊長である弘田澄男から始まり、有藤通世や山崎裕之らが打つクリーンアップ陣を擁する打撃陣、戦力は充実していた。
宿敵ジャイアンツを破っての20年ぶりリーグ優勝で、ドラゴンズ側は選手も私たちファンも実は満足してしまっていたかもしれない。日本一は成らなかった。それでも第6戦、中日球場(現ナゴヤ球場)で、敵将・金田監督も胴上げを見せられた悔しさは45年経った今でも忘れられない。訃報と共に蘇ってきた。

竜を相手に記録を作り続けた金田投手

「投手・金田正一」にとって節目のゲームの相手もなぜかドラゴンズだった。
国鉄スワローズ(現東京ヤクルト)時代の1957年(昭和32年)8月21日に金田投手は完全試合を達成した。この時の相手はドラゴンズ。
翌年の開幕戦で、後に「ミスター・ジャイアンツ」と呼ばれる長嶋茂雄選手をデビュー4打席4三振に切って取った数年後、金田投手はそのジャイアンツに移籍した。ジャイアンツのユニホーム最初の登板となった1965年4月10日の開幕戦の相手もドラゴンズ。竜は金田投手に初登板初勝利を献上した。
さらに、“金字塔”である400勝を達成した1969年10月10日の試合、またしても相手はドラゴンズだった。ちなみに負け投手は入団1年目の星野仙一投手であり、5年後の日本シリーズでロッテ監督と中日エースという立場で相まみえるのだから、野球は面白い。
まるで「投手・金田正一」の野球人生を、生まれ故郷の球団であるドラゴンズが演出しているかのようだった。

“竜の大エース”杉下投手のリベンジ

ドラゴンズとしても、やられっ放しで済ませるわけにはいかない。ここで登場するのが、竜の大エース・杉下茂投手である。
1955年(昭和30年)5月10日、杉下投手は国鉄スワローズを相手に1-0でノーヒットノーランを達成したが、この時の相手投手は金田正一投手だった。これについては2014年2月23日に実施された「第1回・中日ドラゴンズ検定」の2級問題でも出題された。相手が「金田正一」だったことが、ノーヒットノーランにさらに価値を与え検定問題にも採用されたのだろう。
金田投手がその2年後にドラゴンズ相手に1-0で完全試合を達成するのだが、その時の竜のマウンドは杉下投手だった。ノーヒットノーランには完全試合で敵を討つ。見事である。「敵ながらあっぱれ」とはこういう時こそ使う言葉なのだろう。金田正一と杉下茂、年齢は杉下さんが8歳年上だが、エース同士のマウンドには劇的なドラマが降臨することをあらためて痛感した。

星飛雄馬を育てたカネやん

金田さんは「カネやん」という呼称で多くの人に親しまれた。明るくて豪放磊落な人柄はグラウンドだけでなく、多くの場面で人々の記憶に残った。
個人的にどうしても触れておきたいのは、漫画『巨人の星』(原作:梶原一騎 作画:川崎のぼる)の1シーンである。昭和の時代、幅広い世代の胸を熱くした野球漫画だが、この中で主役の星飛雄馬は、自らの軽い球質を克服するために「大リーグボール」という魔球を生み出す。そこに金田投手が深く関わっている。
星は、ジャイアンツの先輩である金田投手に変化球を教えてほしいと頭を下げる。その時に金田投手は星を一喝して言う。「なぜ大リーグにも存在しないような新しい独特な変化球を作ろうとしないのだ」と。「自分がもっと若かったら挑戦する」と後輩を鼓舞したのだった。そして星は「大リーグボール1号」を完成させる。ドラゴンズファンながらも、とても感動した場面である。漫画の世界にも、このような愛すべきキャラクターで登場したところが、いかにも「カネやん」らしいと思う。

金田正一さんの旅立ちを、多くの野球人、多くのファンが悼みそして偲んだ。次々と語られる伝説やエピソードの数がそれを証明している。400勝も4490奪三振も、おそらく二度と破られることはないであろう。打ち立てた記録の数はあまりにも多くて書き切れないほどである。
投手としても監督としても、竜の前に大きな姿で立ちはだかった大投手に、ドラゴンズファンとしても心からの哀悼の意を捧げたい。どうか“にぎやかに”お休みください。

【CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲  愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。

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