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ジャイアンツを倒せ!中日vs巨人の名勝負が語るライバル熱戦史

ジャイアンツを倒せ!中日vs巨人の名勝負が語るライバル熱戦史

いよいよプロ野球日本シリーズ。新型コロナウイルスの影響で開幕が3か月遅れるなど大変なシーズンだっただけに、両リーグ頂上決戦の実現は感慨深いものがある。セントラルリーグからは2年連続で讀賣ジャイアンツが出場し、4年連続日本一をめざす福岡ソフトバンクホークスと対戦する。ドラゴンズファンとしても様々な思いを胸に原ジャイアンツの戦いを見守りたい。

ライバル対戦は2000試合近い

2020年シーズンの中日ドラゴンズ、巨人との対戦成績は10勝12敗2分。大野雄大投手の熱投やヤリエル・ロドリゲス投手の初勝利など、夏場に奮闘した印象が強いのだが、終わってみれば2つの負け越しだった。4シーズン連続の負け越し。記録によると、これで1936年以来、通算対戦成績は公式戦1988試合、ドラゴンズの860勝1069敗59分となった。
ちなみに初対決は、ドラゴンズの前身チーム「名古屋軍」が「大東京軍」に勝利している。通算成績で200勝余りの差がついているので“宿敵”などと呼ぶと巨人ファンからは叱られるかもしれないが、かつて多くの竜党は「ドラゴンズが勝つだけではダメ。同じ日にジャイアンツが負けてこそ美味しいビールが飲める」と豪語してきた名古屋のお土地柄だけに、ライバル意識は強い。

木俣選手サヨナラホームランの思い出

生まれて初めて野球場で観た試合はジャイアンツ戦だった。
1971年9月1日、中日球場(現ナゴヤ球場)。4対4の同点からキャッチャー木俣達彦選手のサヨナラホームランで劇的な勝利だった。当時の指揮官は、相手の巨人を8度もリーグ優勝に導いた名監督、水原茂さんだった。因縁である。小学生だった時代なので、ゲームの詳細についての記憶は多くない。ただ、スタンドに入った時のカクテル光線のまばゆさ、そしてそれに照らされた芝生の鮮やかな美しさは今も目に焼きついている。
まったく同じ勝率で並び、勝った方が優勝というシーズン最終戦、1994年10月8日の「10・8決戦」をはじめ中日ドラゴンズvs讀賣ジャイアンツの名勝負はあまりに多い。その中から自分なりに3試合を選んでみた。

記憶に残る名勝負はコレだ!

(1)1978年(昭和53年)8月10日ナゴヤ球場。
マウンドにはエース星野仙一投手、ドラゴンズが4-3の1点差のリードで迎えた9回表、1死満塁で打席には4番の王貞治選手。外野フライで同点、ヒットなら逆転という絶体絶命の大ピンチだった。結果はセカンドゴロ、名手・高木守道選手の軽快な守備でダブルプレー、試合終了。星野投手がガッツポーズで吼えた。ゲームの後、球審はこう語ったのだった。
「星野の球そのものに気合いが入り、最後の一球は真っ直ぐ来たのに、王が打とうとした瞬間になぜか球が不意に小さく変化した」
ストレートが気合いで変化球に!?
当時の王選手がセカンドに併殺ゴロを打つことはほとんどなく、まさに“燃える男”星野仙一渾身の一球だった。「打倒巨人」の第一人者、ファンとしては頼もしいエースだった。

(2)1987年(昭和62年)8月9日ナゴヤ球場。
予告先発がない時代、場内アナウンスされた先発投手の名前に球場はどよめいた。ドラフトで5球団競合の末、ドラゴンズが獲得した左腕・近藤真一(現・真市)投手のプロ入り初登板だった。それもジャイアンツ相手の初先発。ファンが驚いたのも無理はない。
しかしゲーム前の驚きは、ゲームセットの瞬間にさらに大きく膨れ上がった。近藤投手は巨人打線を見事に抑え込み、ノーヒットノーランを達成したのだった。
高卒ルーキーをいきなりジャイアンツ戦に先発させた監督は星野仙一さん。ドラゴンズの球団史に素晴らしい1ページを刻んだのだが、ここでも星野さんが関わっていることに今さらながら懐かしさがこみ上げてくる。「打倒巨人」の闘魂だった。

(3)2020年(令和2年)9月8日ナゴヤドーム。
ドラゴンズは5試合連続完投勝利を続けていた大野雄大投手、ジャイアンツは開幕から9連勝中の菅野智之投手。ナゴヤドームのスタンドに座って“エース対決”に酔いしれた。
両チームのファンどころか、日本中のプロ野球ファンが注目した投手戦、スタメンを紹介した場内アナウンスも絶叫した「究極のエース対決!」と。
新型コロナの影響で応援は拍手が中心だったが、2人の投手に送られる拍手には熱がこもっていた。ゲームはジャイアンツが勝ち、菅野投手に勝ち星がついた。しかし7回で交代した菅野投手に対して、大野投手は9回を投げ抜いた。勝ち星こそ付かなかったが、6試合連続の完投となった。
シーズンを終え、大野投手は最優秀防御率と最多奪三振、菅野投手は最多勝利と最高勝率、投手タイトルを2人で分け合い、どちらも投手の最高峰「沢村賞」のライバル候補である。

ドラゴンズとジャイアンツの名勝負、あなたはどんな対戦が思い出に残っていますか?

巨人に立ち向かった背番号「20」

この他にも沢山の“宿敵対決”を観てきた。星野仙一投手と小松辰雄投手が、当時注目されていたジャイアンツの連続得点記録をストップするべく競い合った1981年。星野投手は後楽園球場(当時)でショート宇野勝選手の“ヘディング”珍プレーによって失点。しかし、小松投手はおよそ1か月後のナゴヤ球場で完封勝利を飾り、星野さんとの“勝負”にも勝った。2人ともドラゴンズのエース背番号「20」を背負った。2020年ドラフト1位で入団する高橋宏斗投手が「打倒巨人」の象徴として背番号「20」へのあこがれを語ったことが嬉しい。ジャイアンツに立ち向かう心意気は“継承”されていくことだろう。

ドラゴンズが日本シリーズの舞台から遠ざかって久しい。来季こそ、10年ぶりにその舞台に立ってほしい。そのためには、まず首位のジャイアンツに勝たなければならない。
今季8.5ゲーム開いた大差を埋めるために、ドラゴンズにシーズンオフはない。戦力補強も、そしてもちろん、12球団一と胸を張れるような猛練習も・・・。合い言葉は「打倒巨人」、ファンはエールを送り続ける。

【CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

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