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ドラゴンズにレジェンド続出!個人記録ラッシュなのにBクラス!?(28)

ドラゴンズにレジェンド続出!個人記録ラッシュなのにBクラス!?(28)
愛しのドラゴンズ!
論説室コラム

ドラゴンズにレジェンド続出!個人記録ラッシュなのにBクラス!?(28)

 2019年1月7日(月) 08:10
北辻 利寿
北辻 利寿
著者の娘が生まれた出産祝いに落合博満選手から贈られたホームラン人形(1989年)
著者の娘が生まれた出産祝いに落合博満選手から贈られたホームラン人形(1989年)

2013年(平成25年)から2015年(平成27年)まで、中日ドラゴンズは、3シーズン続けてBクラスに低迷した。3年連続のBクラスは、実に45年ぶりのことだ。

あと一歩の守道ドラゴンズ

8年間におよんだ落合博満監督体制を引き継いだのは、高木守道監督だった。
コーチ陣にはチームOBをズラリと揃えたなつかしい布陣だった。
1年目の2012年(平成24年)は2位、クライマックスシリーズのファイナルステージで読売ジャイアンツ相手にいきなり3連勝し王手をかけた時は、ファンとして、この事態を信じていいのかどうかわからないほど驚きながら、正直、これからの1勝が大変だろうと思っていた。結局、もう1勝が奪えず、逆転で日本シリーズ出場はできなかった。
1勝の重み・・・実は私たちファンは落合監督時代に“学習”していた。パーフェクトゲーム目前の山井大介投手交代が代表例だろう。勝つときは徹底的に勝たなくてはいけないのだ。
日本シリーズ進出をあと一歩で逃したことと共に、このシーズンでもうひとつ残念だったのは、ルーキー高橋周平選手を起用し続けられなかったことだろう。せっかく高木監督自らが引き当てた金の卵、ファンとしては目をつぶってでもシーズン1年間使い続けてほしかった。

谷繁に岩瀬に和田に・・・

翌2013年からは連続Bクラスの3年間だったが、偉大な記録が続々と生まれた。
その年5月6日には、谷繁選手が神宮球場の東京ヤクルト・スワローズ戦で、2000安打を達成した。
2014年7月26日のナゴヤドームのジャイアンツ戦では、私の目の前で岩瀬仁紀投手が前人未踏の400セーブを達成した。その夜は一緒にドームにいた母校・愛知県立大学時代の卓球部メンバーと美酒に酔いしれた。
その2か月後の9月3日には、山本昌投手が阪神戦の登板、5回を無失点に抑えて49歳での最年長勝利を記録した。
2015年はまたまた記録ラッシュだ。まず6月11日には千葉での千葉ロッテ・マリーンズ戦で和田一浩選手が2000安打を達成、7月28日の阪神タイガース戦ではついに谷繁選手が、野村克也さんが記録したプロ野球最多出場記録3017試合を更新する3018試合出場を達成した。

最年長登板の山本昌

山本昌投手は、最年長の世界記録をめざして、8月9日にナゴヤドームでシーズン初登板のマウンドに登った。
その日ドームの外は、灼熱の太陽が照りつける猛暑だったが、山本投手の名前がコールされた瞬間、ナゴヤドームは地鳴りのように熱くどよめいた。私は3塁側スタンドにいて鳥肌が立つ思いだった。
残念ながら2回途中の早々の降板だったが、引退表明後の10月7日シーズン最終戦、広島カープとの対戦で、最年長試合出場や最年長登板など自らが持つ記録を塗り替え、そして現役選手としてのマウンドを去った。

優勝パレードこそ!

これほど沢山のプロ野球記録が凝縮されて生まれた3年間は、ドラゴンズ史上にはない。Tシャツやタオルなど数々の記念グッズが作られた。しかし、チームはBクラスと低迷。ファンとしては複雑な心境だった。
選手個々のプレイや記録への“感動”はもちろんだが、やはりチームとしてペナントレースを勝ち抜いた“感動”がほしい。優勝パレードがある度に必ず沿道で見守ってきたが、パレードは何度味わっても気持ちのいいものである。

プロ野球チームの大切さと力

ドラゴンズだけでなく、日本におけるプロ野球チームの存在は大きいと思う。
2015年秋は、ラグビーという競技がワールドカップでの歴史的な活躍によって、大きくクローズアップされたが、実はつい先ごろまでは長い間人気獲得に頭を悩ませたスポーツ。それに比べれば、プロ野球ほど長い期間、多くのファンに愛されてきたスポーツはないと思う。一朝一夕の歴史ではない。そして、そのプレイは長年のファンだけでなく、多くの人々に“感動”を与えてきた。
例えば、1995年(平成7年)。阪神・淡路大震災を受けて、地元のオリックスブルーウェーブ(当時)は「がんばろうKOBE」を掲げてシーズンを戦った。そして見事にパ・リーグ優勝。被災地を中心にどれほど多くの人たちが勇気づけられたことだろう。
東日本大震災の2011年(平成23年)は、全チームが「がんばれニッポン」を掲げた。仙台が地元の東北楽天ゴールデンイーグルスは星野仙一新監督のもと、被災各地を
慰問にまわるなど、地元の人たちにエールを送り続け、仙台を中心に東北の人たちも
「おらがイーグルス」と声援を送った。その年こそ優勝を逃したものの、2年後の2013年、エース田中将大投手の大活躍を軸に、見事にリーグ優勝、そして日本一を手にした。東北の盛り上がりは記憶に新しい。プロ野球の力を感じさせた。

ファンに寄り添う選手の心

こうした盛り上がりには、ファンからのエールはもちろんだが、ファンに寄り添おうという選手たちからの“心”もあった。それが呼応しあって、社会現象的な感動になったと思う。
名古屋市営地下鉄の「ナゴヤドーム矢田」駅からナゴヤドームに向かう地下通路の壁には、ドラゴンズの優勝の歴史や名場面シーンなどと共に、すべての選手の大きな写真パネルが飾られる。毎年、新しい写真のテープカットの際、列席した選手会長が自らの写真にサインをするが、なぜドラゴンズ選手一人一人が自分のパネルにサインして、ファンへの一言メッセージを書き込まないのか、と通路を通ってドームに行き来する度に素朴な疑問が巻き起こる。ここしばらくナゴヤドームが満席になるゲームが少なく、選手たちもヒーローインタビューで必ず「ドームに足を運んで下さい」「応援よろしくお願いします」とアピールしているが、この通路のパネル写真に全選手が直筆サインしたら、きっと何かが始まる、そんな象徴のような気がしてならない。

プロ野球全体を愛しているとは言え、ファンの気持ちはどうしても贔屓の“おらがチーム”に向かう。優等生的にプロ野球讃歌を唱える一方で、やはり大切なのは自分が応援する球団、その“身勝手さ”がファンなのだと思う。私の場合、最後は“おらがドラゴンズ!”なのである。(2012~2015年)

【CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

※ドラゴンズファンの立場で半世紀の球団史を書いた本『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』(ゆいぽおと刊・2016年)を加筆修正して掲載いたします。

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