中日OB・吉見一起が振り返る。甲子園出場が決まると起きたこととは?
元中日ドラゴンズ投手の吉見一起さんが、9月5日放送のCBCラジオ『若狭敬一のスポ音』に出演。金光大阪高で野球に打ち込んだ青春時代を語りました。春のセンバツが決まると起きること、吉見さんが自身の心に火を点ける方法などを若狭敬一アナウンサーが尋ねます。
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金光大阪高等学校は2001年秋の近畿大会で、翌年の春のセンバツを賭けて兵庫三木高校と対決し、5対1で勝利しました。
この後、近畿大会の優勝を目指して奈良県の橿原球場へ。当時は南阪奈道路がまだ開通しておらず、かなり時間がかかったそうです。
吉見「高校として近畿大会も初めていったレベル。みんながわけわかんない状態で応援に来てくれましたし、二階建てバスで行ってすごいVIPな扱いしてもらいました」
監督の言葉
センバツは確定しながらも近畿大会は進みます。準決勝は甲子園の常連校、智弁和歌山と。
吉見「選手は打つし、体つきも違う。それに智弁の応援を生で聞いたら勝てないと思いました」
センバツは確定しているので負けてもいいかと思っていたところ、試合前に金光大阪の横井一裕監督から「智弁に勝ったらお前らすごいって言ったるわ」と言われたそうです。
吉見「それで僕の心が燃えたんですね。はっきり覚えてます。そのモチベーションだけで投げてました」
若狭「監督の言葉って大きいですね」
吉見さんは、監督に「それ言わしたろ」という思いだったそうです。結果6対3で金光大阪は智弁和歌山に勝ちました。
吉見「監督は終わった後に『お前らすごいな』言ってくれました」
ちょっと失敗
実はプロ野球に入っても同じ経験をしたという吉見さん。
それは当時の落合博満監督から「5年連続で二桁勝ったらエースと言ってやる」と言われたこと。
吉見「腐りそうになった時も認めてもらうために頑張ろうって、あれだけでやってました」
その言葉に発奮した吉見さん、2008年から2012年の5年間連続二桁勝利を挙げました。
しかし、その後は燃え尽き症候群のようになり目標を見失ってしまったとか。
それからは怪我の影響もあり、引退まで二桁勝つことはありませんでした。
吉見「自分の持って行き方を失敗したなと思いましたけど、いい経験でもあります」
言葉でやられるタイプ
2011年クライマックスシリーズでのこと。
森繁和コーチから「明日勝ちたいから投げて欲しい」突然連絡が来たとか。
吉見「地下鉄自由ヶ丘駅のロータリーに車停めて森さんと電話しました。やりがいだけで投げました」
また高木守道監督時代には、開幕投手をしたいと直訴。
「俺はお前を一番信用しとるよ」という言葉を貰い、嬉しくて頑張ろうと思ったそうです。
吉見「僕は言葉で受けちゃうタイプかもしれない(笑)」
甲子園が決まると起きること
話題を高校時代に戻すと、金光大阪は智弁和歌山に勝ち、決勝では兵庫の報徳学園と対決。
この試合は吉見さんは、十分投げたのでご苦労様的な扱いで登板せず。
報徳学園の投手は、後にトヨタ自動車を経て千葉ロッテマリーンズに所属する大谷智久投手。
結果3対5で負けて、金光大阪は近畿大会で準優勝となります。
しかし、翌2002年の春のセンバツには吉見一起投手擁する金光大阪高校の出場が決定しました。
この後、「輝け甲子園の星」や「報知高校野球」などの雑誌の取材が殺到したそうです。
吉見「高校生ながら答えてましたね」
たくさん届いてる
各野球メーカーからはグラブが届いたそうです。
若狭「高校野球の中継を見ていたら、どのピッチャーのグローブもやたら綺麗。あれはメーカーが売りたいグローブを、テレビが映る回数が一番多いピッチャーに差し上げてるんですよね」
ちなみに吉見さんは、高校に入ってからミズノプロでオーダーしたグラブを使い続けたとのことです。
吉見「たくさんグラブが届いてるなっと見てました」
そして金光大阪は、春のセンバツ一回戦で、高知の名門・明徳義塾と対戦することになります。
(尾関)
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